昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

依存症について

世の中にはいろんな依存症がある。


お酒、ギャンブル、ゲーム、買い物、ドラッグ(合法違法問わず)、性行為・・。


一見依存症とは思えないものもあるけれど、私の個人的な解釈としては本の虫なんてのも依存症だし、釣りキチなんて言葉は依存症に他ならない(苦笑)


またジョギング、健康法、ダイエットで失敗ばかりしている人もそうかもしれない。

 

人は【何か】から逃避するために「別の何か」をする。
この初めにくる【何か】とは何か?


平たく言うなら【何か】=【社会生活or社会の中で生計を立てていくこと】だと思う。

「生活するための労力」「生きていくこと」とでも言おうか。

 

現実的にこの社会生活を営むことから逃避することは多くの人は出来ない。
もちろん私も出来ない。それでも一時的に忘れることはできる。
それが依存症の元にある【世の中にいることからの逃避願望】なんだと思う。

 

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酒とバラの日々

 

以前に、アルコール依存症について書かれた本を数冊読んだことがある。


共通して書かれていたのは【禁酒、断酒に成功した人は「何か別の趣味・楽しみ」を見つけた人】がほとんどとの事。

 

「禁酒の会」のようなサークル団体に参加すると、まずは自分の「失敗談」をみんなに話して、それから「禁酒宣言」をして、その後に勧められるのは「別の趣味を持つ」こと。できればその趣味仲間を作ること。これがうまくいくと禁酒も続くらしい。


つまり、別の楽しさによって【何か】から逃避できた人が禁酒に成功しているという話。これはすべての依存症において当てはまるんだと思う。

 

で。依存症を二つに分けてみる。

 

依存症のもっとも怖いところは「度が増していくこと」である。度を増していった先にひどいことが待っている。

※ひどいケース
①健康をいちじるしく害する(死をもたらす)
②周りに迷惑をかける(暴力をふるったり、借金を作ったり、大きな失敗をするなど)


この二つの要素のひとつでもあるのならそれは「悪い依存症」そうでなければ「良い趣味」となる。

 

となれば先に書いたもので言うと
「お酒」「ギャンブル」は間違いなく悪い依存症の2トップになる

(ドラッグやシンナーなど違法なものは明らかに論外)

 

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※射幸性の高い機種は規制されたものの。。

 

「ゲーム」「買い物」「セックス」あたりだと、程度によっては依存症ではなく趣味の範疇でいいのかもしれない。まぁ度が進まなければ・・という話はつきものだが。。

 

だけど、この3つは大きな弊害をともなう。【幸せに向かわない浪費】という大きな弊害。だから傍で冷静に見ている人から「いいかげんやめなさい」と言われる。

(言われる人は幸せな人だけど)


人生は長いようで短い。

 

「セックス」に関してはお互いの気持ちが通っている大好きな相手とするならけっして時間の浪費なんて言わないだろうし、結婚とか子作りとかと別に考えても、すばらしいこと。


が、主たる目的がセックスによる「快楽」となると、いつか大きな事故となって、結果として②の要素が出てくるので注意した方がいい、、くらいしか言えない(笑)

 

依存症の人の典型的なセリフとして

「誰に迷惑かけてるわけじゃない」ってのがある。

これが出てきたらまず重症。(100%依存症)

多くは「結果として周りに迷惑をかける」ことになるか、本人の破滅が待っているように思う。

 

■生理学的に。
趣味とは言え、ひとつのことに没頭していると生理学的に脳内モルヒネが出る。

アノ感覚を一度知ってしまうとなかなかやめられない。それがまさか【幸せに向かわない浪費】だと気づいていてもやめられない。

 

はじめに書いた例で言うなら。

 

■「本の虫」(活字中毒)の場合は、何か読まないとイライラしてしまうほど、、だとしても「良い趣味」の範疇に入ると思われます。


■「ジョギング」は自己流で続けていくと健康を害すことが高確率であるらしいので、気軽に1人でできる運動なら「サイクリング」「ウォーキング」「スイミング」あたりに変えたほうがいいのかなと。自分の周りの人を見ていて思います。


■「釣り」も(ハマちゃんみたいに)仕事をほったらかして、家庭をかえりみずに行くとなると「良い趣味」ではないかもしれないが、それほど度が進む人は稀なので特段「悪い依存症」ではないと思う。


■「ダイエット」を次から次へと試しては失敗してしまう人も、まずはダイエットから離れて、まったく別の【良い趣味】を始めたらいいかなと思う。

結果として大したガマンもなく健康的に痩せることは多々ある。


※肥満(メタボ)とダイエットをやってはリバウンドしている人とはちょっと違う。

 

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インスタなどのSNS「食べ物の写真の投稿」がどのくらいあるか?を数えればその人の肥満度もだいたいわかってしまう。一週間に5枚以上自分が食べ物(料理)の写真を投稿しているなら、大抵の場合投稿者はメタボ系。。

 (ヘルシーなお弁当を毎日アップしている人は別かなぁ・・キャラ弁は趣味悪いと思うけど)

 

なぜなら、粗食、健康的な食事の写真は見栄えが悪い。それを投稿したところで反響も少ない

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 ※粗食をアップするのはなんともわびしい(病院食みたいで)

 

だからアップされてる写真の多くは豪勢な肉とか、寿司、中華、スイーツ、名物ラーメンなど。もしくは料理の量や種類がやたら多い食べる系のオフ会などインスタ映えする食事(料理)の写真を頻繁に載せる。

まぁ大概カロリーオーバーしちゃいました写真なんですね(^_^)a

 

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流行のダイエットを試しても生活習慣を変えないと、やっぱり健康的に痩せられないし、すぐにリバウンドが来る。

逆に良い生活習慣を身に付ければ、それほど痩せなくても、健康な身体になっていくと思う。

 

実は、食への依存もけっこうこわい。

 

※ちなみに常に食べすぎている大食いの人も、脳内モルヒネが出ているので広い意味では「食への依存症」ということになる。

 

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と、いろいろな依存について書いたけれど。。

 

いずれにしても「はまっている趣味」に周りが歯止めをかけることはできない。


もしアドバイスを求められたら「頂までやりきって飽きてしまう」ことが脱却の近道だと伝えるくらいしかない。(もちろん健康を害するものはだめだけど)


それができないなら、別の趣味に誘って「誰かと一緒に楽しむこと」を体験させていくしかないと思っている。

 

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ここからは、少し違う角度から。


先に「本」は良い趣味と書いた。

では「マンガ」「アニメ」「映画」はどうか?

 

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実は「依存症」になる大きな要素のひとつに「大変な思いをして得られる逃避(カタルシス)」がある。


マンガ、アニメ、映画に時間を費やすことは「さして大変な思い」がない。
つまり「つらい作業」が無い。だから多くの場合、依存の対象にならない。
(というのも自論だけど)

※ゲームはそこそこ大変な思いをするから中毒性があると思う。

 

「買い物」にしても、大切なお金を使ってしまうという行為自体に「あー気持ちいい」というカタルシス(快感)があるから依存症になっていく。

だから生活に苦しいのに買い物依存になる。これは月収とかとあまり関係ない。欲しいものが気楽に買えない人が買い物依存になるということ。クレジットカード地獄なんて言葉もあるし。


お酒にしても、元々お酒に弱い人がアルコール依存になりやすい。

 

このあたりで「依存」の正体が見えてきた人もいることでしょう。

 

「大変な作業(肉体的、精神的を問わず)を続けていくうちに、その非日常体験によるカタルシス」が現実逃避させてくれる。


それが「もっともっと」と強い欲求(刺激)を欲することになる。前よりも強い刺激がくればまたまた脳内モルヒネが出て「ふわー、、気持ちいい」となる。

 

(同じ度合いを続けていると、脳内モルヒネが出てこなくなる。なぜなら、さしてつらく無くなってるから。)


この「大変な思い→楽しい→カタルシス→脳内モルヒネによる麻痺」が中毒性を持つ。

 

だからやめられない。

 

アルコール依存症は吐いて吐いて強くなった人】
【ギャンブルはお金に困っているのに大負けした人】
セックス依存症は恋愛がうまくいかなくてさびしくてどうにもならなかった人】

 

そういう【人】に蛇はリンゴを差し出します。

 

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お酒の席でリラックスしてとても楽しかった時間。
ギャンブルで大儲け。
ひとときの甘い夜の誘い。

 

このリンゴを食べた時に脳内モルヒネが放出されるわけですね。


そして、その快楽の記憶だけが残っていて、以降また満たされない時間(社会生活)が来る。

 

※「ウコンを飲んで宴会に出れば翌日が楽なんだ」と言う人。深酒しないようにすることを考えられないのかな?と思う。どこかで歯止めを利かせないと、気がつくとアルコール依存症になってしまうから注意です。

 

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私の場合、45までのいろんな【悪い依存症】から、ギターと歌という【趣味】に変わったことで、生活が180度変わった。


いや、少なくとも趣味の無い人よりは、豊かになったと思っている。


この数年は仲間とも妻とも楽しい音楽を共有できている。これまた楽しい。


スポーツと違って年をとっても長く続けられるし。ギター弾いて歌っていると若さも保てるらしいし。

 

できれば誰もが「悪い依存症」から「良い趣味」に移行して楽しく健康的な時間をたくさん過ごしてほしいと願うばかりです。


大事なことは、大元になっている「生活のがまん」を減らすこと。これがとても難しい。そして、それは決してゼロにはならない。でも二アリーゼロの体験(生活)を誰もが経験しています。

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それは「胎児」のとき。
この時だけは社会生活によるストレスは無い。


そして、ヘソの緒が切られた時からストレスは始まります。
つまり、人は産まれる前にがまんの無い時間を実体験として知っていたのです。
だから余計につらいのかもしれません。

 

そして、そのストレスから脱却するためには別の「良い趣味」を持つのが一番というのが私の自論です。

 

釣りでも山登りでもサーフィンでも何でもいい。

ただ、できれば「1人でも楽しめて、仲間と共有することもできる」もの。

そして年を取っても長く続けられるもの。

 

「なんか面白いことないかなぁ・・」って言ってる自分がいたら、誰かが用意した「これ面白いですよ」にお金と時間を使うんじゃなくて、自分で何か行動を起こすのがいいかと思うわけです。

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30代までならスポーツやレジャーもいいけど、40過ぎたら音楽(アート:造作)や創作に関するものがいいと思うんですけど。。

 

川柳でもイラストでも歌でも陶器でもドライフラワーでも洋裁でも。。

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創ったものが、人に自慢できるほどじゃなくてもいいと思うんですよね。

 

なぜなら、創作には年齢制限も、終わりもないから。

 

(おわり)

 

行間。

以前に「行間を読むこと」について書いたことがある。

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今の30代くらいより年下の世代だろうか?
デジタルな世代とかいろいろと言われているが、単純な言い方だと

"書かれていない部分”を読み取る力がない。

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それはマンガやドラマの表現の変化を見ればわかるけれど。。今のは、何かにつけて分かりやすく作られている。

 

結果として

「表示されていない情報はわからない」
がいつのまにか
「表示されていない情報は推察しても仕方ない」
さらに進んで
「表面に出ていない情報は無いものとする」

 
「そんな情報どこにも書かれてないんだから、無いですよ」になってしまう。 

これは、若い人たちの判別能力が低いのではなく、そういう判断をするものとして脳が学習してきただけかと思う。癖とでも言おうか。

 

だから「表面から得られる情報から、その奥を推察してみてください」とか
いちど深読みしてみてください」と言えば、なんてことはない。じゅうぶんに理解できるのである。

(ここを私たち(年配者)が能力が低いとするのは大きな間違いだと思う。。)

 

若い世代でも、チャップリンを10分も見ればファンになる子もいるし、海外ドラマの心理描写の場面で手に汗にぎることもある。

 

ただ、ふだん「テレビから流れてくる情報」からは、その表層だけで判断を下すという、ある意味、変な学習機能が働いてしまっているんだと思う。

 

以前昭和40年代あたりの少年マンガでは、野球帽を深くかぶり直して、くるりと背中を向ければそれは涙を隠している姿であり、別の1コマに「右手こぶしに汗」のアップがあればグッと力をこめていると読者はわかった。

 

けれども、巨人の星が登場したあたりから変わった。

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伴宙太が「飛雄馬の特訓だの苦労だの」について説明して、「星よーおまえってヤツはぁ~!」と涙を流している様を見て、初めて読者に飛雄馬の気持ちが伝わるという、脇役が説明するスタイルになってしまった。


すると、伴が何も言わないときの飛雄馬は何もしてない=普通の練習だけ=魔球開発も特訓もしてなかった選手になってしまう。

 

この「ごていねいな説明」が始まったことで、読者は「説明されなければ推察しない」のが当たり前になってしまった。渡鬼なんていちいち説明ばっかでセリフが気持ち悪いw

 

政治家が諸外国へ行ったニュースが流れれば「仕事している=がんばってる人」になり、国会で発言している様がテレビに流れない政治家は「仕事していない=仕事してない人」となる。

 

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つまりメディアに流れるかどうか?が非常に大事なわけで。

特に深読みせずに、そのまま露出された部分で評価をする。

 

これが「ほかではどういう活動しているのかわからない」という疑問のままに置いておくことはできない。(レッテル貼って終わらせる癖とでも言おうか。。)


極端な話「天皇は何をしてるのかわからない人」ではなく「式典で手を振ってるか、慰問以外は何もしてない人」になってしまう。

いや、こんな失礼な話、おそらく50代以上の世代には考えられないかもしれないけれど、事実そういう見方をしている若い世代の人たちは少なくない。

 

現政権について一定以上の評価をしている人は20代が多いというのも、そのあたりに起因するのかな?と思う。


うーん。。

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少し前にとても強い将棋指しの中学生は出てきたけど、、今の将棋人口少ないのがよくわかる気がする。。

週末に見た古い映画。『冒険者たち』

週末。ツマさんとの合流が夜9時頃になりそうだったこともあって。
ひとりで映画を観た。

「冒険者たち」1967年仏映画。

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クロバット飛行(凱旋門をくぐる)のパイロット(飛行機インストラクター?)のアラン・ドロン
エンジンを改造して、レースカーを作っているリノ・バンチェラ
鉄くずから、独自の芸術(オブジェ?)を作ってパリでアーティストを目指すジョアンナ・シムカス

夢の大きさに差はあれど、それぞれが明日の自分の成功に向かって生活している。
男女3人の間の愛と友情。3人それぞれに挫折があり、そこに訪れる宝探しの話。
財宝は?その行方は?そしてやってくる結末。

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もちろんストーリーも面白いし、場面場面が心の琴線にふれるいい映画なのだけれど、なんと言っても魅力はこの3人それぞれと言っていい。
アラン・ドロンはどこまでもかっこいい。

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リノ・バンチェラは渋カッコイイ!

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ジョアンナ・シムカスは本当にきれいで、その振舞いもしぐさもファッションも可愛い。

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夢に破れた後に3人で財宝を探し、それを手にするまでの話ならハリウッドでも描けただろう。
だけどその後の話~結末が、やっぱりフランスならではの話だよなぁ・・と思う。

 

ハリウッド映画はどれだけすごい画面(場面)を見せるか?にお金をかけるけれど、
フランス映画はどれだけ人物の心の動きを見せるか?に多くをさいているのがよくわかる。

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今見たら、ふっと「天空の城ラピュタ」を思い出した。

 

うん十年ぶりに見た。やっぱり名作!