雨の緑に黒。
会社の休憩室(使ってない会議室)の窓から隣地の木々が見える。
その木々の合間を黒いものがヒラヒラと横切っている。
(カラスアゲハかな?9月の雨の中?)
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だいぶ前のことになるけれど、蝶の専門家の話を兄から聞いたことがある。
兄「専門家はね、珍しい蝶を見つけるとね、顔色がキリッと変わってね。シーっ(人差し指を口にあてて)ってやって静かにしろってサインを送ってね」
青「つかまえるの?」
兄「そう、腰を低めてじっと蝶の動きを見て、そーっと帽子を脱いで、パッと帽子で捕まえる」
青「へー、すごい!達人なの?」
兄「そうじゃないんだって。何やら、蝶って、同じ道を何度もぐるぐる飛んでいるんだって。」
青「じゃぁ、飛んでる道すじを覚えて、道の通りに帽子を持ってって・・・」
兄「そう!つまり飛んでいく先まわりをして帽子をそれに沿って捕まえるからそんなに難しくはないんだって」
(ふーん、紋白蝶もカラスアゲハも自分の通り道を何度も回遊してるわけね)
夕方になると、新橋の社屋から、ガード下に行って、それから馴染みのスナックへ行って帰宅した翌朝また新橋に出社するサラリーマンみたいに。。
たまにあやしい店の客引きがそっと帽子をかまえてて、パっと捕まえるわけね。
蝶々、蝶々、菜の葉に止まれ、菜の葉に飽いたら桜に止まれ。。
雨の中、緑の間をヒラヒラと黒い端切れが舞っていた。
上半期最終週の工事案件が、ほとんど終わらないまま9月は終わり。
楽しいこと。
楽しいことを二つに分ける。
受動的楽しみと能動的楽しみ。
単純に「楽しいこと」と言う言葉で思い浮かぶのは何でしょう?
例えば日常的なもので「食の楽しみ」
どこぞのレストランで食べるとなれば、それだけでちょっと楽しそうです。
美味しい=楽しい これ間違いない。
だけど、おいしい料理を自分で作って食べる(or誰かにご馳走する)のはもっと楽しい。
※鍋料理は簡単。みんなで食べるとまた美味しい!
料理はちょっと失敗してもだんだんと「美味しい料理」に近づいていく。
この「だんだん」がとても楽しい。
つまり、レストランで食べる料理が受動的な楽しさで、作って食べるのが能動的な楽しさ。能動的な中には楽しさがいっぱい詰まってる!
ジャンル変わって料理じゃなくて、スポーツも同じ。
プロ野球観戦もW杯をテレビで見るだけでも楽しい。
だけど、自分と仲間が集まってできるスポーツはこれまた楽しい。
もちろんボーリングとかボンダリングみたいに1人でやるものだとしても、やっぱり見るよりやる方が楽しい。
楽器もいっしょ。
仲間で集まってやるバンド(ユニット)は上手い下手に関わらず基本的に楽しい。
これ、カラオケよく行く人はわかると思うんだけど、「仕込んでおいた(練習した)歌を歌う」とすっごく気持いい!
で。
歌も、生オケ(生バンドの伴奏)で歌うとさらに気持いい。ただし、カラオケの何倍も難しい。
※ほんとはカラオケだって上手に歌うのは難しいんだけどねw
難しいから、やっぱり練習した分楽しいんだわ。
これもプロの演奏家の音楽を聞くのとはまったく違う音楽の楽しさがある。
やっぱり能動的な方が楽しい。
ゲームに夢中なら、ゲームを作る側になってみる。
小説を読むのが好きなら、自分で小説を書いてみる。
映画を観るのが好きなら、動画を作ってみる。
才能があるとか無いとか、売れるとか売れないとか関係ない。
楽しいんだよね。
これすなわち 能動的な楽しみ。
「気軽で」「すぐ」楽しめるものには、厚みが無くて続かない。もっと面白いもの、もっとすごいものと求めていって、、やっぱり飽きる。。
すぐ飽きて、また他のことやって
出てくる言葉が「なんか面白いことなーい?」
これまさに現代病w
消費して消費してその時だけ楽しくて終わっちゃう。
大好きなことを、能動的に楽しむと、大変だけど奥が深くて、楽しさがずーっと続くと思うんだけどなぁ・・・。
※最近仲間と演った動画。アマチュア感満載だけど、とにかく楽しいw