youtubeでカバー動画を削除された件
youtubeでは人の曲を歌ったり演奏した、いわゆる「カバー曲」の動画をアップすることは原則として認められている。
以下はyoutubeのヘルプより
JASRACなどの著作権管理団体(会社)が、youtubeと包括契約をしているとのことで海外の楽曲でも安心してカバー動画をアップしていた。
We are the worldのカバーでは動画をアップして数日で20もの団体から「うちの著作権にからむ曲なので権利を分配するようにyoutubeに申請します」と言ったようなメールが届いた。
[We are the world USA for Africa] cover
ただ、そのメールには「カバー動画ですので、発生する収益が分配される事に異議なし」ならそのままでOKですと文書に書かれていた。
しかし、20もの団体が著作権を有している曲など世の中には無いだろうと思って一度「異議申し立て」をした。
(このWe are the worldのカバーは異議申し立てをして20以上の団体が4つに減った例)
この異議申し立てをして、却下される事も頻度が増すと「実は悪質なユーチューバー」と言うレッテルを貼られてyoutubeのアカウントが削除される事もあると書かれている。(その前に警告が来るけれど)
また自分で演奏していない楽曲をBGMなどに勝手に使うと視聴制限をかけられて、【PCでは視聴できるけれど、スマホやタブレット端末では視聴できない】部分制限がされる事もある。もしくは「どこどこの国では視聴できない」と言うちょっと変わった制限をされる事もある。
まぁ、もともと他人様の作った曲を使って動画を作る場合は、いろんな形の制限があっても仕方ないとは思っているけれど、今回初めてカバー曲の演奏動画が「著作権に侵害するので削除します」と言うケースになって驚いた。
youtube側も異議申し立ての機会はくれているけれど【オフィシャルな使用許可の書面がなければ使用不可】としている著作権団体(会社)もあるので、今回は削除撤回要請は出さずにそのままにした。(動画の公開に関しての判断は申立人に委ねられている)
※まぁコメントの画面に「申し訳ありません」なんて書かれているしw
もちろんテレビを録画したデータとか、DVDを落とし込んだデータとか、ライブ会場での盗撮動画などは明らかに違法。無論そんな違法行為はしていない。
またJASRACはweb上に検索ページがあって著作権管理について、曲名とアーチスト名ですぐに判別できるので、基本的にはJASRAC管理下にある楽曲ならカバー動画をアップすることは原則として認められている。(今回の削除動画は実は日本国内ではJASRACの管理下にあったけれど、、申立人が削除要請をしてきたため強制削除)
※参照ページ
個人的には30年も40年も前の名曲をカバーしたものをyoutubeにアップするのは、カバーした曲への愛だし、作ったアーティストにとって微細ながらも利益配分されるシステムは悪い事では無いと思っているのだけれど。。
以下のリンクはオリジナル曲だけれど、アップしたら、数日で「著作権侵害」のコメントが数件ついて、異議申し立てをして外してもらった(苦笑)何の曲と勘違いしたのかは不明。同じコード進行の曲ならおそらく何万とあるだろうww
ROME「家政婦が観た:時代の1ページ」
このところ、映画のレビューばかりになってしまったけれど、またまたいい映画を観たので、書くことにした。
これはネットフリックスが配信している映画で、映画祭などの特別な上映を除き、ネットフリックスの配信以外観ることができない。(日本だけでなく世界中で)
つまり、単館上映と言う形も取らずにネットで配信したもので、にもかかわらず多くの映画賞を得たことでも話題となった配信系映画。
※カンヌでは一般の映画館で上映されていなかったことを理由に賞レースから外されているようです
舞台は1970年前後のメキシコシティの「ローマ」地区に住む家族。
映画はその、ごくごく普通のメキシコの家族の日常の風景。
それらが家政婦クレオの視線で淡々と描かれる。
メキシコシティの60年代の終わりから70年頃の話。
政治的に不安定な時期で家政婦クレオが務める家庭に起きたエピソードが描かれていく。
子育て、離婚、妊娠、学生運動、出産、女性の自立。
そんな出来事を通して女性の生き方(考え方)の変遷と家族愛について描かれている。
冒頭からのガレージのシーンは印象的。(と言うより生活様式=時代の移り変わりを象徴的に表している)
モノクロながら、いや、モノクロだから?どこぞの写真展を観ているような?美しい場面がたくさん。それらを観ているだけでも多くの賞賛に値すると思う。
これら多くの、美しい写真のような画面の意味がわかるのには少し時間がかかる。
※場面、情景、ディテールにいろんな意味が含まれている
観ているこちらに「?」と考えさせてから「あのね。この場面はね・・・」と監督が耳元でヒントだけ教えてくれるような運びがなんとも秀逸。
全体的にその場面の意味を咀嚼するのに少し時間がかかるのを計っているような演出が、ゆっくり静かに感動を与えてくれる。
結論ばかりを急ぐ今の時代のテレビやCMには無い、ちょっと古くて、ちょっと遅くて、とても贅沢な時間の流れを感じながら映画は進む。
クライマックスでは「大きな辛さと小さな光」が同居していて重みのある秀作だと思った。
この映画を毎度ながら夫婦で観終わって、うちのツマさんと話したのは
「男性の印象がみょうに薄いね」ということ。
宮崎アニメにおける 母 の描写が妙に薄いように。
この作品は監督自身の記憶に基づく話だそうで「育ててくれたメイドさんへの手紙」だと某記事に書かれていたが、その表現されたリアリティに圧倒されたすごい映画でした。
どうやら洋の東西を問わず、60年代の男たちは身勝手で、男尊女卑的で、ひどかったようだ(苦笑)
そんなエピソードながら男性の私が観ても不快で無いのは、根底に「監督のメイドさんへの愛と感謝」が流れているからだと思う。
えっと、すみません。思いつくままにレビューを書いたので、ブログに流れができていない=まとまって無いです。。どこかフェリーニっぽいし。。
この、いくつも並行して出てくる感想がまとまらない感じ。。観ていただければわかっていただけると思います。=観てない人には???なww
「天才作家の妻」ハリウッドの大竹しのぶ?
ツマさんが「何かいい映画やってない?」というので
「天才作家の妻 ー40年目の真実ー」をチョイス。
アップリンクの中にある売店で。鏡の中の私。奥はうちのツマさん。
「ノーベル文学賞を受賞した天才作家」は妻がずっと支え続けてきた。
もしくはノーベル賞の栄光に隠された【愛と嘘】
などと、広告のコピーにも書かれている。
つまり「実は妻が書いていた!」というのが本編のハイライトじゃない。
なんて前知識を得た上で観てきた。
観終わった後の印象というか、感想というか、、
まさにこの妻の存在に尽きる。
その妻を演ずる ハリウッドの大竹しのぶ?ことグレン・クローズがすごい。
映画が始まる前に、うちのツマさんが
「あ、この人「危険な情事」の女優さんだ」と言った。
う!恐ろしい!!あの、、あの人かぁ、、と私も思い出したw
とにかく「そこにそういう人がいそう感」が半端ない。
今回もまさに、そこにそういう人がいる感が全て。
それだけグレンの凄さが光っていた。
映画の中には「ノーベル賞授賞式」の舞台裏、進行とか、さらに20世紀の作家事情とか、いくつも興味深い場面はあったものの。。
この妻の愛情の深さ。まっすぐさ。悔しさ。諦観。母としての愛。40年の重み。
それらが湧き上がってくる授賞式での複雑な感情を見事に演じきっていたと思う。見つめる目の中に説得力があった。
想定するに60を超えたあたりの妻が、若々しく輝いたり、沈んで老けたり、多様な顔を作中ふんだんに見せてくれました。(見事!)
正直、クライマックスはちょっといただけない感じ(展開)だったけれど、観終わった後の感じは悪くなかった。
大竹さんの舞台もドラマもそうだけど、全て大竹しのぶワールドになってしまう。
このグレンさんもそんな感じで、作品の全てを持ってっちゃう人でした。
現代が[ The Wife]というのもうなずけますね。
あ、すでにゴールデングローブ賞で主演女優賞もらってるんですね。
アカデミー賞も主演女優賞にノミネートされているんですね。納得!
&作品賞とか監督賞に上がってないのも納得。。