甲状腺の腫瘍は悪性でした
私の中にできたガンの話です。最初に書いておきますが、手術は成功に終わり、予後も良好です!
以下昨年の時系列を追って。
2018年5月。会社で受けた4月の健康診断の結果は特段悪くなかった。
2018年6月。KISSのトリビュートバンドでライブイベントw
一番左のエースが私。エースと聞いてピンと来る人は次回のライブ(未定だけど)でお会いましょうw
2018年7月。原宿クロコダイルで歌謡曲バンドのお助けギター?を弾く♪
写真でもわかるけれど、喉ボトケの下にあるしこりがある。これが気になり出した。(スーパーボール1個分くらい?)
で。
2018年7月下旬。地元横浜の病院へ。「とりあえず行ってみた」という感じ。
その場で触診&エコー検査。
エコーで確認できたのは甲状腺に大小4つの腫瘍(しこり/腫れもの)があるとのこと。それから血液成分検査をした。その結果は3週間後とのこと。
甲状腺腫はその多くが良性腫瘍で、あっても1年に直径1mmくらいしか大きくならないらしい。
医師「しこりはこのまま放置していても問題ないですが、ちょっと大きいので、ジャマなら摘除も考えて行きましょう。基本・・様子見ですね。」
2018年8月。血液検査の結果は悪くないとのこと。甲状腺はちゃんと機能しているのでホルモンなどの数値も問題ない。
「基本・・様子見ですね。」もう2ヶ月ほど様子見w
スミダのジャズフェスにも出よう♪
フェスの周遊バスの中で大合唱ww
2018年9月。様子見という言葉にうんざりな私の顔を見てか?
「ご心配でしたらこの腫瘍の細胞を摘出して精密検査をしてみることをおすすめします。この病院では外科的なこと(検査含めて)はできないので東京の病院を紹介します。」とのこと。
2018年9月。紹介された病院へ行く。
病院ではまた検査。エコー検査+血液検査。結果が出るのは3週間後。細胞を取る検査が必要かどうかのものらしい。ただ先に検査した数値分析は持って行ったので、それを見た医師。
「このデータからすると橋本病ですね。今回の検査結果を見て、細胞を摘出する検査をするかどうか決めましょう。」(また様子見。。)
2018年10月。摘出した腫瘍の細胞検査結果。
「甲状腺の腫瘍は悪性でした」
(おっと、ガンか。。)説明は続く。
「ただ、転移は無く、甲状腺ごと摘除すれば完治します。手術の予定ですが、、一番早くて4月上旬になります。申し込みますか?」
「はい」ということで手術の日程は2019年4月上旬に。
病院から出てすぐにツマへ電話で報告。
その夜はプログレユニットのリハだった。
音楽をやってりゃガンもおとなしくしてるだろう、、くらいの気持ちでバンド活動は続けた。ガンかどうかは別として手術が必要な話を音楽仲間に伝えた。まっすぐに励まされて心強かった。これは本当に感謝に絶えない。
しかし、ガンが自分の体内にいることは事実。私の父も祖父も叔父も叔母もガンで命を落としているので、最悪のことが頭から離れない。
医者は大丈夫と言っても、実際に手術をしてみたら、いくつかの転移が見つかるかもしれない。兄夫婦と二人の子供にはそれぞれ個別に時間を取って話をした。
「実は甲状腺ガンで手術をすることになった。甲状腺ごと摘除すれば完治すると言われた。」
話の要点はこの二つだけ。
とは言え、さすがに説明している私も、聞く側も、シリアス。
元来湿っぽい話は苦手だけれど50も後半。そろそろ自分の終わり方を考えておくのも悪いことじゃない。幸い息子は32だし、娘も30だ。まぁ淡々と話した。
11月は前から関西ミニライブをやると言う企画を進めていた。もちろんそれは決行。
旅行を兼ねて忘れられない楽しいミニライブ@京都だった。
病気は、いい機会とプラスに考えて?生活を一から変えることにした。
11月中旬には、社長に退職の話をして、引き継ぎにおよそ1ヶ月。
2018年12月25日。会社を退職。9年前に小さなリフォームの会社に転職してきた60近いオヤジが辞める話だ。退職金も有休消化も特に無い。ガンになったので辞めると言えばサクっとw
2018年1月〜3月は時間もあって、ライブだの録音だのといろいろ音楽活動に精を出した。
なにやら「手術の後は声が出なくなるかもしれない」なんて医師に言われたものだからやれることはやっておこうと♪
そんなこともあって、手術直前の3月には、私のための私のバンド「パパデュ」のミニライブをやった♪
で。2019年4月「入院+手術」という流れに。
話を特に引っ張る気は無いので、冒頭に書いた通り手術は無事成功!
今は自宅で、晴れ晴れとした気持ちでブログを書いている。
手術から10日ほど経過した現在、予後良好。まだ声は本調子では無いけれど、徐々に良くなってきている。(えいっと、声を張り上げて歌えない)
長くなってしまったので、入院日記と私の変化の詳細については次のブログにて。
(つづく)
あの日から福島「星がよく見えた」という話
東京の郊外にある、(うちのツマさんがとお義母さんが住んでいる)都営住宅にも被災地から避難されてきた方が数世帯住まれていた。
その方たちは今年3月の支援打ち切りの期限を定められて、その全世帯とも、都営住宅から引っ越されたという。
つまり、4月から東京都に住民票を移して都営住宅の規定家賃を払って住むか?もしくは出て行くか?という二択。
数組のご家族が故郷へ帰られたのか?はたまた別の土地へ行かれたのか知る由もない。
(ちなみに被災地ではおよそ10万人がまだ仮設住宅に住んでいるとの報道がされていた)
毎年3月11日となるとテレビでは被災地の模様や、被災者の現況などを映し出す。
もちろんそれは悪いことじゃないけれど。
どこかシルバーシートみたいな印象を受ける。
シルバーシートでなければ席を譲らない人たちが出てきてちゃったり、席が空いているのにシルバーシートだから座らないという変な感覚の人が出てきちゃったり。。
※道路の復旧はだいぶ進んだとのこと。
3.11の前後、数日間だけ災害について特別番組を編成して、当日、当時に黙祷をして、桜が咲く頃には何も放映されなくなる。
番組内で「忘れちゃいけない」なんてメッセージを聞くと「忘れていたいのはマスコミでしょ?」なんて意地悪なツッコミが私の心の中に湧き上がる。
番組編成の3ヶ月に一度くらい5分枠でいいから、各地の復興についての報道があってもいいのに。数字数字なんだろうなぁ。
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何か大きな力に遮られて、どうにもならなくなった時に、原点に帰る。帰る場所が今は無くても、心は原点に帰る。そして顔を上げてまた歩き出そう。
このHOMEという曲は被災された方々が「夜は空を見上げて星を見ていた」というエピソードを聞いて書いた。
ひどいニュースが多すぎる
毎日流れてくるいじめによる自殺、幼児虐待、テロのニュース。
なんだか「どうにもならないイライラ、モヤモヤを自分より弱いものに当たる」ということで一部共通していないだろうか?
絶対的に抵抗できない弱い相手をいじめて、貶めて、虐待して、発散する。
(テロリストたちは、武装することで強者になっている?)
いじめと虐待とテロを一緒くたにするのはかなり無理はあるけれど、誰かのせいにして自己救済しないと気が済まないと言うシンブルな図式に思えてならない。
大国のトップからして「あいつらを排除すればこの国はよくなる」と言って、票を集める世の中。
誰かのせいにして自分たちのイライラ(不満)を解消することは決して根本的な解決にならないと言っても、こんな理屈は理解されない。(本人たちは理解したくもないだろう)
よくある話だけれど、自分の思いのままに行かないこと(不幸とか災難とか。)を身近な弱者のせいにして腹いせをしている人は、常に対象となる弱者を探している。
「あいつらのせいだ!」の「あいつら」は、実は弱者であれば誰でもいい。職場でのパワハラも同じ。
先だっての虐待のニュースの当事者である父親は、保護された施設の担当者に凄んで娘を取り戻して、やっぱり虐待を繰り返して殺してしまった。
彼にとっては虐待をする相手がいないと生活できないほど、、辛かったのだろう。
アルコール依存症、ギャンブル依存症、薬物依存症の数百倍いや比べては依存症患者たちがかわいそうなほどに、、ひどい依存だったと思う。
人として弱すぎる。。