昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

バイデンは「神の手」を使ったの?

選挙をスポーツに例えるのはいかがなものか?と思うけれど。

ワールドカップと言うサッカーの国際公式試合でディエゴは手を使ってゴールを決めた。

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その結果はどうだったろう?ゴールは認められ勝利、その大会でアルゼンチンは初めてW杯を手にした。

今回の大統領選挙でバイデンに不正があったとしたならば、それは神の手のなした事なのではと思う。

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つまり、選挙はいつも反則も含めての泥試合。


そんなことが「実際にあったのなら、選挙制度引いては民主主義の崩壊だ!」
と憤慨される方も少なくないでしょう。

うん、その通り。でも、ちょっと立ち止まって考えてほしい。

じゃぁトランプ陣営は前回の(今回の?)選挙で不正をまったくもってしなかったのか?それを証明することもはなはだ難しい。
 
逆にあれだけ「あいつは選挙で不正をしている!」と言い張るトランプこそ、不正のノウハウをよく知っていたのかも?なんて思えてくる。

言うなれば4年前の選挙ではトランプに神の手が働いていたのでしょう。

そんな俯瞰的にクールに語られても困ると言う方もいらっしゃるでしょう。

私が言いたいのは、「神の手」が差し伸べられた側の判定を、人の手でひっくり返すのはあまりに難しいということ
(もちろんそれを不可能とは言いたくないし、良きことなんて微塵も思っちゃいないけれど)

この神の手を、民意(総意?)とか、富裕層の仕掛けたこととか、ましてや陰謀論的な噂話による何かだとか、おそらくそんなものじゃないと思っている。

先日の米の暴動のニュース映像を見ていてひどい(つらい)と思うのは、
どこぞのフーリガンのように不満を爆発させたトランプ信者たち。

トランプの一声で集まり、暴徒化し、そして死傷者を出し、機動隊に抑えつけられ。。
みな被害者たちだと思う。
 
号令をかけた本人は何事も無かったかのように手を振りながらヘリに乗って
白い家を去っていった。

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さて、では今の日本の政治はどうか?

どこぞの陰謀論よろしく、グローバル企業と呼ばれる、地球規模で時代をけん引している大企業と資産家たちに牛耳られているのだろうか。

彼らは戦後から日本のマーケットに介入したかった。
そして20世紀のうちに日本の金融にメスを入れた。
最近では「不動産」「水」「種」と、どんどんグローバル企業の介入。
そんな法案も次々に決まってきている。

それが中国だか米だか、はたまたまったく違う富裕層なんだか、庶民は知るよしもない。
日本の官僚たちは水面下で多くの約束を交わし、政治家を表に出して約束を実行していく。

官僚たちも政治家たちも「なぜそうするのか?」なんて事は、深く考えず。。
(考えれば自分たちの命すら危ぶまれることになりかねないし、進めてさえいれば
自分たちの位置は保つことができると思っているのかしら?)

だから「コロナを政治に利用しているとか」、「分断が広まっている」とか、そういった事は深く考えずに物事を進めているのではなかろうか。

もちろんコロナによっても、それに対する国の政策(失策)によっても多くの犠牲者がすでに出ている。
 
それでも神の手が働いてないならば、人の手でひっくり返すことはできる。
働いているのであれば、困難だと思う。
 
 
こんな混乱の中で庶民の私が一番危惧するのは「戦争」の二文字。
もちろん今すぐに勃発することは無いでしょう。
 
だけど日本の5年後10年後はまったくわからない。
 
それは過去の大戦のような爆弾が飛び交う戦争にはならずとも、市民の多くが犠牲者となってしまうような経済的な侵略なのかもしれない。
もしくは、思想的な支配をしてくる巧妙な洗脳によるものかもしれない。
 
他の国の領地を奪うとか、人民を支配下に置くとか、そんな目的の戦争は無意味だと「神の目」に映るなら、神の手はそんな古い事には使われずに、もっと効果的な事に使われるのかもしれない。
 
 
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その昔「神の見えざる手」という言葉をアダムスミスが「資本論で使ったのも、大きな資本が動くという事は、その「時代が要請している」ものと言う話だったのではなかろうか。

産業の発達には、資本の動きが伴うので、いろいろな場面で神の手が登場する。

あるベンチャー企業がAと言う大発明をした。
そのAは時代に合っているか?というのは「神の手」が働くのか?で決まる。
そんな観点で見たら、わかりやすいかもしれない。

同じように、ある国のトップが選挙で交代した。
そこにはやはり神の手が動いたと考えていいと思っている。

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すでに色あせた映画「マトリックス」3部作では劇中、数人の神様が登場し、人の「幸せ」を勝手にコントロールしていた。


で、そんなことをなぜ神たちはしたかったのか?を考えてみる。


洞察力の乏しい私の推論としては、おそらく「神」という位置を保持したかったではないかな?と。

昔の貴族たちよろしく「その位置をキープしたかった」のではないか?
 
まぁ映画ではそこまで触れていないけれど。

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「ニュースを信じるな」って言葉がネット(SNS)で飛び交う。

では、そのネットの言葉をどうして信じることができよう。
つぶやきの中にはスポンサーの介入がないから?


いやいや、何かしら利益がからんだネットの書込みもたくさんあるし、

無責任な理論を展開して自己救済しているものもけっして少なくない。

ネットで一番怖いのは「自分に都合のいいネタだけが集まってくる」ことで
「信じていいこと」なんてハナから無いと思っている。

言いたいことは、知る由もないことを市民が知るのは結果が出た後であって、
その経過、もしくはその問題に取り組んでいる様を知ることなんて到底できないと
思った方がいいという話。


さすがにマスメディアだってまったく知らないことは書けない。

ただ、マスメディアは少なくともネットのインフルエンサーたちより
少しだけ責任感があるということ。

 

もちろんマスメディアのニュースを鵜呑みにするのは危ないけれど

「結果報告(の報道)」は概ね正しい。

神の手のほどこした結果くらいは大なり小なり報告してくれている。

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ドラマ「僕らは奇跡でできている」観了にて。

休みの日。時間があるのでドラマを観た。

これまたツマさんのおすすめ。いっしょに観た。

「僕らは奇跡でできている」

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※観た人にしかわからないネタバレありの書き方にて、見ていない人にはごめんなさいな感想です。

 3回は泣いてしまったかな??

 

で。このドラマ。第一話の冒頭から引き込まれた。

割れてしまった陶器を見て陶芸家のおじいちゃんの言葉
「どうしたら輝けるか考えてごらん」からの、、

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ジョージの家。

 

おじいちゃん素敵!!

そして、このドラマのテーマは一貫して「どうしたら輝けるのか?自分の気持ちを聞くこと」だった。

 

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回を追うごとに、いろんな要素がたくさん詰まっているドラマだった。

 

中でも。。

 

多くの人が持っている「生きづらさ」の根源について。

歪んだ教育(家庭内や学校含む)とか、点数制度によってできあがった「社会へのお役立ち度で測られる」と言った社会通念。

それらが巧妙に交じり合って今の人たちを息苦しくしている。

 

こんな、痛切な批判もこめられていたと思う。

 輝いているようで、輝いていない人が主人公の周りに登場する。

それはどこにでもいる「生きづらい人」たち。

 

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子供って「やりたいこと(興味・好奇心)がたくさんあるのに、何かやってみるたびに否定されて傷つきながら育っている」なんてこともハートフルに語りかけてくる。

 

「そんな事やってても糞の役にも立たない」とか
「それで将来稼いでいけると思っているの?」とか
「まだそんな事やってるの?」とか

言ってる側の大人が「自分のやりたいことを否定して生きてきてるんだな」って語りかけてくる。

 

終盤に職場の先輩のK先生から「あなたがやっていることは学生たちにとって迷惑なんです」なんて言われて主人公は「悲しい気持ち」になります。

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このK先生の心にあったのはヤキモチの一種ですね。

 

例えば、自分は「やりたいことをガマンして今の仕事をやってる」=それもうまくいってない。
他方、彼は「やりたいことだけをやって仕事になってる」

 

ヤキモチわいてくるんでしょうね。

(自己救済してるってことも本人わからない)

 

私は20代の頃から職場で明るく部下と話していると上司から「真面目に仕事しろ」と怒られたクチです。

 

そんな上司は「気難しい顔して、深刻な顔をしている人が真面目に仕事している人」で、「明るい職場で笑顔の絶えない職場は不真面目」だそうです。

どちらも仕事の話してるんですけどね。

 

あの時の上司も何かをガマンしながら(ストレスを抱えて)仕事してたんでしょうね。

 

ドラマの話に戻って。

基本的にユーモラスに話は進んでいくのですが、たくさん泣ける場面もあって、とても楽しく全話見ました。

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昨今のドラマ(にありがちな)の放つ嫌な刺激はとても少なくて、会話のやりとりに人の心が表れていて、脚本家の力を感じます。もちろんそれを演じる役者さんたちも、スタッフもいい味だしていました。

 

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主人公の周りにいる「つらい世界でガマンして、自分を否定しながらがんばっている人」が、だんだんと変わっていく様がわかりやすく描かれています。

 

そして、最後に主人公は宇宙へ行くのですが、これ、突拍子の無い事に思えるかもしれませんが、私はストンと落ちました。(レビューを見るとかなりマイナス評価になっている)

 

本当にやりたいことが見つかると、今まで興味なかったこともドンドン積極的にやっていくようになるのが「希望を持って楽しんでいる人」。

その情熱はものすごいパワーを持っているから一般常識の限界なんて軽く超えていくって話だと思いました。


その顕著な例として「宇宙に行く」場面が描かれていたわけで、宇宙飛行士の試験(訓練)を受ける場面で終わっててもいいんです。(仮に落ちてたとしてもいいんです)

 

作者はまっすぐに夢に向かう人は「常識の限界を超えていくよ」って話を書きたかったんだと思います。


仮に、そこに向かっていくうちに、挫折があったとしても次のステージに行けるので、何の心配もいらない。

 

これって、周りが言うところの「努力と根性」じゃない。興味から始まる探求ですね。

 

おそらく本当に宇宙へ行った人たちはみんな、こうした情熱に突き動かされて飛んでいったと思います。
「いつ迄に、これとこれを勉強しなきゃいかない、体力作りをしなきゃいけない」なんて思わずに
「これとこれを身につければ、宇宙に行けるんだ!体力つければ宇宙に行っても活動できるんだ」そんな気持ちで夢に向かっていった、、と言いかえたら、わかりやすいかもしれません。


はたから見たら、取っている行動は似ているけど、本人の楽しさが全然違う。実際、苦しかったら続かない。

 

サカナ博士で有名な「サカナ君」も、小学校の時に先生や親など周りの大人たちはなんとか「ふつうの勉強」をする「ふつうの生徒」にしたかったかもしれません。でもサカナへの探求心を失わずに進んでよかったなぁと思います。


「やりたいことが見つからないなら、旅にでも行けば?まずは本でも読んでみる?」

なんて気持ちで、いろんなタイプの子供たちを見守ってあげないといけないなぁと改めて思いました。

 

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還暦迎えた私(おじいちゃん初心者w)としては、すべての子供たち、迷える若者たちに、あの陶芸家のおじいちゃんのように接したいなぁ・・と思いました。あのおじいちゃん素敵すぎますもん。

 

異なる意見を聞くのが大人。

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

ひとことで言うと、「早口」はこども。

余裕を持って会話できる人が大人かなぁ?

 

今は社会がどんどんと分断されてしまってきている。

白か黒か=敵か味方か?

こんな判断が当たり前のようになってきている。

それってまさに子供だよなぁって思う。

 

・批判

・悪口

をする人は周りからどんどん距離を置かれてしまうけど、

その裏返しで、特定の人の主義にべったりな人もこわい。

 

ともすれば

・強引な主張でマウント取ろうとする(変えさせようとする)

・「正しさ」とか「正義」とかの押し売り

・洗脳しようとする

・判断基準を否定してくる

なんてことになってくるし。

 

正直、いい大人なら、相手の話を聞いて、自分と違うところをよくよく聞く姿勢は保つようにしないといけないと思う。

特に自分の大切な人なら尚のこと。

そして「よく話を聞くからと言って、すぐに同調する必要ない」と言うことも併せ持つのも大人。

 

異なる意見を聞く耳(多様性の容認と言うか)を持っているのが大人って感じかなぁ。。

 

世の中の多くの人がそうなったら、少しは生きづらさも減るような気がします。

でも内側に自信がないとか、不安(コンプレックス)を抱えているとか、ヤキモチ焼きさんとかは難しいよなぁ。。

 

流行りのアニメやドラマのような勧善懲悪の話が好きな人はこどもかなぁ。。