「良い子」から卒業
今週のお題「良い子からの卒業」
最近は成長過程の中で「反抗期の無い人」が増えたように思う。
昭和で言えば、だいたい10代後半でやってくる第二反抗期の話。
反抗期に親に向かって「ふざけんなよ!オヤジ!」とか「いちいちうるせーんだよ、ばばぁ」とかね。
そんなひどい言葉は使わなくても「こんな家もう嫌だ。明日出ていく」とかね。
自分の記憶を辿ると(あぁオヤジも一人の男だし、オフクロもただの女だったか)なんてガッカリしたというか、安心したというか、まぁ嘆いた時期はあった。
無口になったり、言う事素直に聞かなかったり、なんて時期もあった。
これが無いまま育つ人が増えたと感じる。
40過ぎてもずっと「良い子」で生きてきた人と言うか。
親にも、学校にも、社会(会社)のルールにも、特段、反抗などせずに従順に生きてきたと言うか。
それが正しいとか、そうしなきゃ損じゃん!とか言い聞かせて。
もちろんその方が(反抗期的なふるまいが無い方が)周り(特に年上層)のウケはいい。
いいけれど、やっぱり社会生活の中で生きる人間だから、ずっと「良い子」でいると、いろんなストレスを抱えこむ。
自己嫌悪になったり、鬱になったりとか、はたまたストレスからくる病気になったり、なんてことも少なくない。
まぁ広い意味で言えば、平成あたりから増えた「登校拒否」と「引きこもり」は地味な反抗期なのかもしれない。
特段暴力をふるうことも無く、ひどい言葉を投げつけることも無く。
①私の場合は14才の頃に「高校は自分で選びたい」と親に言ったことが始まりかな?
②平行して、「母親から注がれてくる愛情」は母親の一方的なもので、こちらの事を考えているわけじゃないとわかった事。
(だからって何をしたでもないんだけどね)
③そして、大学受験にあたって、ひとり暮らしをしたいと言い出して、実家を出たこと。
この3つで随分と変わった。
④社会に出てから「ずっと尊敬していた父」は「自分が尊敬していたかった父」だっただけで、すでに知っていた父のマイナス面からは目をそらしていたのを自覚したこと。この自覚はけっこうきつかったなぁ。。
この4つでほぼ自分の中の親に対するコンプレックスは消えた。
もちろん感謝してるし、オヤジもオフクロも大好きだった(すでに2人とも他界)
もし、自分の中のコンプレックスやモヤモヤを解消したいと思うなら、その話を仲のいい友に、(交際相手でもいい)お酒の力を借りてでもいいから話してみる事をオススメします。
(自分の何が自分を圧していたのか?がわかってくる)
※ただ、その話を聞かされた相手は興味本位に面白がるだけかもしれない。それでもかまわない。
人に話すことが大事。
話すと多くの場合、自分の中のモヤモヤが晴れる。
自分がとても気にしていた事が、周りからしたら「大したことない」と言うことに気づく。
この「大したことない」と思っている相手の表情が救ってくれる。
「へぇ、そんな感じの親だったんだ」とか
「あーそういう話ってよくあるよね」とか
そう言った「大したことない反応」に怒ってはいけない。
「やっぱり他人には理解できないよ!」と相手を責めてもいけない。
繰り返すけれど、この「大したことない」と思っている相手の反応が救ってくれるんだ。
もし、救われなかったとしても、自分の中で自分のコンプレックスに対して正面から向き合って、分析して、心の整理ができればそれでいい。
モヤが晴れる。
中学生男子が「ニキビが多くてモテない」とか、
女子高生が「彼に送ったメッセージの返事が遅いと嫉妬しちゃう」とか、
自分の抱えてる悩みやコンプレックスも、そのくらいの重さだと気づいた時にモヤモヤは消えている。
ただ、もしも、あなたが誰かの悩みやコンプレックスを聞く側だとしたら、気をつけてほしい。
今は昭和の時代と違って、言動ひとつで相手から訴えられてしまうことも少なくない。
アドバイスのつもり、励ますつもりで言った言葉でも、差別的な表現はしないこと。あくまでも相手の側に立って解放してあげる事(思いやり?)が大切。
言い方ひとつで話してくれた友達を失くしてしまう事になりかねない。やさしい言葉をかけてあげてほしい。
とは言え、私が反抗期に聞いたロックンロールは、いつも私にやさしかったなぁ。
「坊や、そんなに良い子でなくてもいいんだよ」と言ってくれてた気がする。
立会川で少し。
京急沿線に住んで40年以上経つけれど、まだ降りてない駅はけっこうある。
おそらく一生降り立つことは無い駅も数多くあるのだろう。
そんな中、先日、用事があって初めて降り立ったのが「立会川」
「立会川」は東京は品川区にある京浜急行線の駅。
横浜の田舎に住んでいる私からすると「品川区」と言う響きはかなり高級感があるけれど、ここは下町。
何やら工事をしていた。高齢化社会?福祉の行き届いた町?に適するようにエレベーターの設置をしていたようだ。
降りてすぐに「立会川」と言う名前の「川」が目に入る。
看板に「きれいに美しく」と書かれているという事はずいぶんと汚かったのかな?
昔は川がごみ捨て場だけでなく、簡易トイレ代わりだった時代もあったんだろうなぁ。
川の名前の由来をちょっと調べてみると
川をはさんで敵対していたもの同士が太刀を合わせる「太刀合い」から来たという説と近くにあった処刑地へ別れを告げるために縁のあるものが「立ち会った」という説などがwikiに書かれていた。
どちらにせよ、あまり良い名前ではなくて、縁起が悪いとか、悲哀に満ちている由来だ。
川の脇に小さな花壇というか、プランターが並んでいるのに気が付いた。
この小さな花壇に沿って(つまり川沿い)に歩いていくと看板があった。
へぇ。6月下旬と7月初旬にはそれぞれ花が咲くのか。
マリーゴールドねぇ。あいみょんのヒット曲が無かったら、マイナーな花だったかな?
まぁ花が咲く頃に立ち降りる事はなさそうだと思いつつ少し散策。
川幅はせいぜい4m程度、金網は無粋だけれど、ひょいと眺めれば風情がある。
ところどころにかかる橋には縁起のいい名前がついている。
弁天様は何しているのやら。
突然現れた坂本竜馬はマスクをしていた。防災活動もしているみたい。
この地には、何やら竜馬が二十歳の頃にいたらしい。夜明けはまた来るのかな。。
京急線と川は南北に延びているけど、垂直に伸びる東西の道には小さな商店街が広がっている。
上を見上げたら通りに龍馬の名前が付いていた。
いったん駅に戻って、その先の商店街を歩くと国道15号。
商店街をふらっと歩く。
国道15号線のことを横浜市民は「1国(いちこく)」を呼ぶ。
これは第一京浜の事。旧東海道を整備して作ったらしい。
で。国道1号線の事を「2国(にこく)」と言う。こっちは第二京浜の事。
どちらも東京と横浜を結ぶ幹線道路(国道)だ。
ちょっとややこしい(苦笑)
「第三京浜」と言うのは関東では有名な高速道路だけど、これは東京都世田谷区~横浜市保土ヶ谷区まで。
「いちこく」「にこく」なんて呼び名は、今や東京-横浜間を車で移動する業者くらいしか使ってないかな?カーナビには表示されるけど。
ちょっとまぎらわしい。
それでも「品川ナンバー」と聞けば、全国的に人気が高くて、高級車のイメージ。ベンツやBMWをついつい想起させる。
なんて思っても実際はこのあたりの業者のトラックもバンも軽トラもタクシーもみんな品川ナンバーなんだよね。あたりまえ。
帰りに川を見たら、鴨が泳いでいて、鴨を見てたら亀もいた。
ゆらゆら揺れる建物の景色。知ってか知らずか、気持ちよさそう。
社会派のドラマ?
昨今のドラマや映画(アニメ)のヒット作を見ているとどうも胸が悪くなる。
場面ごとの刺激がエスカレートしている。
これ昭和のオヤジだけの感想でしょうか??
ドラマも映画も数字を取ったもん勝ちの世界。。
で。
番組放映(映画の場合は劇場上映)前に番宣。もう登場人物から時代背景から前半のあらすじからていねいに図解説。。第一話って何?って感じw
その番宣(予告編)で一番惹きつける場面が見せ場(クライマックス?)だとしたら、本編見るとがっかりしてしまう。。
なにやら視聴者の脳に直接インパクトを与えたいのか?やたらと刺激の強い場面。
話の前後もわからないうちに、お茶の間に番宣ばかりが流れてくる。
見ているこちらも神経が麻痺してしまって、
「あぁ連続殺人ね」「あぁサイバーテロね」
「あぁ不倫なのね」「あぁいじめで自殺ね」
「あぁひどい奴が裏切るのね」「あぁ復讐に燃えるのね」
「あぁ美人が襲われちゃうのね」「あぁ人気ありドルがすごい衣裳着るのね」
「あぁ犯人にひどい過去があるのね」「あぁ・・・」
と、なんとも当たり前の出来事になってる。
となると、番組製作側は「もっと刺激を!普通じゃダメだ!」となってしまうもので。。なんともこのエスカレート加減がひどい。
大袈裟な演出。
キャラ設定やプロットに無理。。
ひどい奴はとんでもなくひどい。
題材も「猟奇殺人」「過激なテロリスト」「集団暴行」「暴力的な性描写」「組織犯罪と癒着」などなど、どんどん刺激的に、下品に?なっていく。
ただ、これらはまだいい。(ほんとは良くないけどw)
巧妙でいやらしいのは、現存の社会問題を取り上げ、さらに問題提起も含めていながらの、、社会派的な顔した駄作。。
「振り込め詐欺」「反社会勢力」「短絡的な(突発的な)殺人」「家庭内暴力」「差別・排他的思想・優性思想」「SNSによる卑劣ないじめや自殺」などなど。
作っている側は「今、こういう事をみんなで考えてほしい」的な?
もしくは「こんな事が実際にある!」みたいな?
どこかリアルな感じ?
社会派的なメッセージ色を出して共感を呼んでいて、結局チープな解決策とか、もしくは問題提起のみ(ドキュメンタリーは別として)で「犯人は捕まったけれど、社会全体として考えていかないといけない・・・」みたいな終わり方。
見終わって、振り返って、「で、いったいどうしたいの?」「作った側としては何を言いたいの?」とツッコミたくなるものも少なくない。
実際に巧妙な犯罪をドラマで微に入り細に入り描くと、「あぁ、そういうことができるのか!」とか「それならオレも実行するぜ(犯罪行為)」みたいなドラマの模倣犯を引き起こしてしまいそうで正直少し怖いのもある。
確かに実際に起きた事件を題材にしているのだろうけれど、ドラマが次の犯罪の在り方を拡散(奨励?)しているような要らぬ心配までしてしまう。
昭和の話をすると、煙たがられるのは承知の上だが、テレビのゴールデンや映画で「流血はダメ」とか、「裸はダメ」とかいろんな規制があった時代は【わかる人にはわかる】でよかった。
笑い話にもなっているけど、「キスシーンの次は暖炉の火が燃えている」とか、「ナイフのアップの後にはカーテン越しに人の影が倒れていく」とか、そんな映像でじゅうぶん【わかる人にはわかる】作りになっていた。
名画「シャイニング」のように、「怖さ」の実感は、見る側の想像力に委ね、スプラッター的な残虐な場面は映さなくても伝わってきた。
想像すればするほど怖くてぞっとする、、で十分でしょ?
もしくは想像(感情移入)するから泣けてくる、、で十分でしょ?
ただ、残念なことに、見ている側の想像力はどんどんと低下していて、直接的にその場面をこれでもか!と【えぐい場面を見せる合戦】になっちゃってる気がする。
もちろんすべてそうだとは言わない。
言わないけれど、想像力の乏しい視聴者に向けてどんどん直接的に残虐な、お下劣な場面が増えてしまってきているのは確かで、、いやぁ何ともはや。。
まぁ「刺激の少ないドラマ?そんなん誰も見ないよ」と言うなかれ。
しっかりとていねいに作って、視聴者の中にも想像力が残っている人をターゲットにしたものを、どこかで信じて作り続けてほしい。。
良質な作品は大げさな駄作に勝てないのかなぁ。。