昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

ジャッキー大高氏のオーディオブック「猛毒日記」を聞き終えて

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かねてから書いていたジャッキー氏の「猛毒日記」の1-4を、まとめたバージョンが出た!

 

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ミュージシャンに限らず、有名人(元有名人)が書く日記とか暴露本の出版だったなら、、そこかしこに「イメージアップ」の看板が見え隠れするのだけれど。

ここにはない。まったくない。


正直なところ、そういう意図に満たされた作品だったなら、途中で私は聞くのを止めてしまっただろう。

 

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彼の語りを聞いていて「え?その部分はカットしないの?まずくね?出版だよ?いいの?マジで?」と心配になる箇所なら、そこここにある(苦笑)


で。遅まきながら、この日記のシリーズを聞いていて半分過ぎたあたりで気が付いた。


この日記は「ジャッキーの禊(みそぎ)」であり「証し」なんだと。


だから、言えなかったこと(ひどかった自分)を吐露することに意味がある。それでないと浄化されない。

 

もちろん日記を読んで出版すれば、それは商品で、浄化じゃないと言う人もいるだろう。それでも自分のつけてきたヒドい足跡を振り返り、目をそらさず、ましてや人目にふれる場に持ち出すことで、少しだけ何かが軽くなるのではないか?

 

だから、ジャッキー大高と言う名前を知っている人が1人でも2人でも日記を聞いてくれたなら、もしくはファンが聞いてくれたなら、、それがそのまま禊として成り立っていくものなのだと思った。


「あの頃のオレはこんなひどいことやってた。苦しかった。つらかった。どこまでも逃げた。でも、もう大丈夫だ」と話したいんだと。

 

だから、「ひどい過去」抜きにこの日記は始まらない。

 

日記が楽しかったこと、ステキなエピソードばかりだったら、昔から大嫌いな「欺瞞」を自分で再現することにしかならないし、そんなことを語ることで自分の中のカケラはひとつとして浄化できやしない。 

Vol.1からだんだんと重くなっていくのは当然の流れ。

なぜなら、初めは「少し楽しい」から「少し落ち込む」程度の話だった。

それがプロになれば「すごく楽しい」から「すごく落ち込む」状態になっていく。

それは分母も分子も大きくなるから、必然。。仕方ない。

 

大きなお金も動くから、多くの人たちも動く。その中で「ギタリストのジャッキー」は「大高知晃」から乖離し始める。社会で名が売れるってそういうことなんだと思う。

 

現実逃避=インド?薬?

そしてインドへ行った。

 

自分を取り巻く日本の環境、そこにいる人たちから離れたくてインドへ。

価値感にウソのないインドの市民。子どもたちは「お金をください」と群がり、大人たちの多くは「このシルクは極上品です。安くします。買ってください」と商売をする。

生活、もしくは本当に生きるために必死でがんばっている貧しい民と、一部のブルジョア。そんな中でも、音楽と踊りが大好きなインド人。明るく楽しく生きている、たくましいインド人。

 

その音楽は時に内向的であり、哲学的であり、とても現実的であった。

 

そして、ジャッキーが自分と闘っている中、いつも心の支えになってくれている父と妻。わが子の笑顔。

 

Vol3で初めて語る「自分の中のトラウマのせいにしていた」というくだりは、聞いているこちらの心の琴線にふれる。と言うか、心をわしづかみにされた。

 

人は自分のダメな部分、弱い部分と向き合った時に、その自己救済をどこに求めるのか?

 

これは「あいつのせいだ」

これは「運がなかったんだ」

これは「オレの親が悪いんだ」

多感な時期に両親は離婚。父と暮らしながら愛に枯渇していた。

そしてすべてを、そのせいにして、自己救済してきたジャッキー。

 

いや、自己救済しきれずに逃げ出してきたジャッキー。

 

それが「誰のせいでもない。オレの罪だ」と語ったときから、彼の浄化が始まる。

これは、まさに猛毒を吐き出していく解毒日記だった。

 

 終盤で彼自身が読む、いくつもの手紙。誰もいなくなったと思った時に、精神病棟で読んだ手紙に書かれた愛。この愛は本物だけれど「共依存」だとクールに語るジャッキーもまたすばらしい!

 

そして、トラウマを払拭しようと母を訪ね、妹に会い、あらためて家族と自分のルーツを正面からとらえるジャッキー。

 

宗教も哲学も知った。知ってなお、信じた唯一のもの。

 

それが音楽。

 

それは解脱とか悟りとか、大げさではなく、大きなもの。

偉大なもの。

(私はミュージシャンではないけれど、やっぱり音楽の力は偉大だと肌で何度も感じている)

 

この十時間以上におよぶ膨大な日記をマイクに向かって自分で読むこと。自分で編集して、自分で出版社を見つけて、出版した。すごいエネルギーだ。

 

私がこうして感想を続けて書いてきたのは、その彼の日記そのもの(どんなエピソード)には途中興味が薄れた部分はあっても、心も身体もぼろぼろになった彼が次の一歩をどう踏み出すのか?が、私の心を揺さぶり続けたからである。

 

すべてを誰かのせいにして、もしくは神様のせいにして、もがいている人たちへの応援歌でもある。

 

最後にこの日記を聞いて一遍の詩が浮かんだので書いておく。

 

読ませてもらって元気が出ました。ありがとう大高氏。

 

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[ ROAD ]

 

まっすぐ歩けと言われたから

ずっとまっすぐ歩いてきたのに

道がゆっくりとカーブしていて

いつの間にか道から外れちまった


気がついて道に戻ったら

道に沿って歩けと言われた


道に沿って歩いていたのに

こんどはもっときついカーブがあって


みんなちゃんと曲がっているみたいだから

自分もカーブにそって曲がってみた


だけど、その時感じる横Gがきついんだ

頭の中に、きしむ音がするんだ


だからまたまっすぐ歩いた

すぐに道からそれたけど


道の外から、みんなを見た

みんな歩幅がそろってる

みんな目が死んでる

みんな脳が機能してない

息はしているけれど

こっちの声が届かない


それに気づいた時に、ものすごい力で道にもどされた


だけど、もう作られたカーブにそって歩くのはいやだ

道のないところを歩くことにした

 

信号も道しるべも何もない大地

初めて自分から大地に降り立った


寒い風が吹いていた

きつい雨も降ってきた


だけど虫の声が聞こえた

だけどきれいな花が咲いていた

 

「悪くないね」と言ってくれる人に会えた

初めて人と手をつないだ

 

足に伝わってくる大地の温度

目の前に横たわる川のにおい

座って夕日を見た

寝転んで星を見た


おれは自由を歌った

おれの声がどこまで届くかなんて気にせずに


おれは愛を歌った

今目の前にいる君のために

いつか旅立つ わが子のために

 

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