テレビ番組の幼稚化。
昭和30年代。テレビの始まりの時代に「1億総白痴化」と言う言葉が流行りました。平成生まれでも知っている人が一定数はいると思います。
ではだんだんと1億人が白痴になっていく過程で、テレビはどのように視聴者を獲得していったのでしょう?
以降は一市民として昭和30年代うまれのオヤジの勝手な考察(感想)ブログです。
テレビが始まったときから、(国営放送を除いた)民放局はすべて広告収入で成り立ってます。いわゆる各スポンサーが支払う広告費でまかなってきているわけです。その広告を見てもらうために【人気番組+印象に残るCM】を作って広告効果を出したいとがんばってきたのが民放テレビ局と大手広告代理店です。
番組はいわゆるその【スポンサーのお金】で製作され、視聴者への【CMの効果】を得ることが目的。成果が上がればその後も継続して広告を出す。もしくは広告枠を増やす。これでテレビ局は潤うわけです。この仕組みは60年経っても基本的には変わりません。(番組製作会社とかCM製作を担う広告代理店など、細かな仕組みや分担は変わってきているかもしれませんが)
最近では番組制作者はその作品をDVDにしたり、ネットで流す再放送などで二次的な権利収入も得ていますが、基本的な流れ(メインストリーム)は変わりません。
だから番組製作者は視聴率を上げたい。上げれば必然的に広告収入も広告主も増えるわけです。
※ちなみに視聴率の1%は100万人に換算され、20%となれば2000万人の目にふれたことになると言われています。(この数字の現在の真偽のほどはあやしいですがw)
1960年代のテレビ番組
60年代はまさにテレビ番組の黄金期の幕開け。
プロ野球、プロレス、ボクシングなどのスポーツ中継(相撲はNHK独占)
ドラマ、歌番組、バラエティ、ワイドショー、アニメ、怪獣もの・・・。
街頭でテレビを見て、いつかは自分の家にも・・・と働いて・・昭和39年の東京オリンピックによって一家に一台テレビの時代がやってきました。
経済成長と相まってひろがったメディア端末。1年間で1600万台(白黒)売れたと言われています。昭和40年代になったころには少なくとも3000万は普及していたことでしょう。
当時の人口が1億で、家族の平均が4人だとしたら2500万台普及した時点で、ほぼ全部の家庭にテレビがあった計算になる。(各部屋に1台になるのは10年先かもしれないけれど)
大手メーカー初め、いろんな会社がテレビに広告を出し、そして番組製作費も増え、電通を初めとした広告会社もうるおっていった時代。
視聴率を取るために
国民の所得が増えたことでとにかくテレビは1家にほぼ1台となった。
およそ3000万台~4000万台のテレビが日本中のお茶の間に向けて「広告」を映す時代がやってきた。
テレビ局には今でも「公共の電波」と言う大前提があり、その中で熾烈に広告合戦が繰り広げられて、視聴率を取るため(広告を見せるため)にさまざまな戦略(企画)がとられていった。
時間帯による視聴者の獲得を考えて、朝のニュース、午前中のバラエティ、お昼の娯楽情報番組、昼メロドラマ、午後のバラエティ、夕方のアニメ、夜の歌番組、プロ野球、 夜9時からのドラマ、洋画、夜遅めにニュース、深夜番組。。
日曜、祭日の番組、夏休みのこども向け、年末年始の特番。。
マーケティングの関係で、あらかじめ主な対象者が決められた中で、各放送局がこぞって番組を作り、視聴率をなんとか稼ごうとしていたわけですね。
年末の時代劇「忠臣蔵」が始まる時間には銭湯がガラガラになってしまうなんて社会現象もありました。
「わかりやすくする」=視聴率UP
昭和のスポ根漫画のブログの時にも書いたけれど幼稚化、白痴化が進んでいくテレビっ子たちにわかりやすくするにはどうするか?それが視聴率と直結の課題だった。
①見やすいカメラワーク
「引き」で映す、「寄せ」で映すテクニックがさらに増す。
グルメ番組で、食べ物のアップ(物撮り)だけ別に撮って、編集で差し込む。カレーパンなんてわざわざ両手でゆっくりと二つに割って中身をアップとか。淡々と全体を映していたんでは何も伝わらない。ゴルフで第一打を打ったら、球をずっと追いかけて映す
などなど、昔はそこまで多岐にわたって使われてはいなかった。
だから、野球やサッカーなどスポーツ、コンサートなど「生で見るよりテレビ中継見たほうがいい」とテレビっ子たちは言うようになった。
さらに70年代の終わりに登場したガンダムのカット割りで入ってくる分割画面は活気的で臨場感にあふれていた。
②字幕テロップ
第二次漫才ブーム(80年代)の火付け役は【新感覚のお笑い+字幕】だった。
爆発的人気だったB&Bはネタは面白いが、【体を使った表現プラス字幕】がなければあの早口のテンポで聞こえてくるセリフをテレビでどこまで理解できただろう?
日常で使い慣れない言葉が出ればすぐに注釈が大きく説明されるなんてこともこの時代から。これもチャップリンの「セリフを話すこと=映画の堕落」の延長上であると思うが、普通にセリフを話していても伝わりにくい幼稚な視聴者には”セリフの可視化”は効果的だった。
③SE(音響のともなった演出)
「巨人の星」のがーん!!である。これがともなってさらにわかりやすくなった。
悲しい場面では悲しい曲が流れ涙を誘う。ハリウッドでも映画のヒットの要因の40%は使う音楽(挿入歌、BGM等)によるなんて言われている。
実際ディズニーはミュージカル色が強いアニメということもあり、50年代から使われる音楽(歌)は常にヒットのための最重要項目である。
④予告・宣伝・メイキング
とにかく本編の放映が始まる前に説明、説明また説明である。新番組が始まる前にはその番組の紹介・解説の番組があり、そこで登場人物(出演者)の説明、ストーリーについての説明、人間関係の説明・・・。
そうしてわかりやすく伝えておいてから初めて本編が始まる。最近では連続ドラマの放送前に「前回のあらすじ」を放送したり、まるまるシリーズを再放送したり。番組の冒頭で解説者が説明したり。。
テレビ局が製作に関わっている映画なんて映画のためのプロモーション番組が前回の映画のテレビ放映だったり、メイキング番組があったり。。
映画がヒットすれば続編。それが劇場公開される前にテレビで前作の放映。まぁひとつの番組でどれだけ放送枠を取ることやら。。チャンネル争奪戦も熾烈を極めている。
⑤ドラマの劇中で要点のまとめ
推理小説などによくある「それじゃぁ今までのことを整理してみよう」なんて劇中でホワイトボードを使って図にしていく。
探偵の助手が「よくわからない点があるのですが・・」みたいなセリフは実際は助手ではなく視聴者への説明だ。(わかっている視聴者には本当に退屈な時間w)
劇中の説明、人物のその時の気持ちの説明、そういうのが功を奏して「わたおに」は大ヒット。つまり場面展開だけで持っていくと、視聴者が理解しにくいだろうと思われる点は徹底的に説明される。
⑥時間軸をいじらない
ドラマの中での回想シーンがあると、「わからない」「理解できない」「難解だ」などと言われるようになってしまった。
セピア色の画面で下に「事件の起こる3年前」などと言うテロップを出しても「混乱してしまった」なんて視聴者の声があがる。
映画ではかろうじて回想シーンはまだあるが、テレビドラマとりわけ、主婦向けのドラマでは殺人事件の最後の種明かしの場面くらいしか使われていない。
「シックス・センス」を見て『1回じゃ意味がわからなかった』と言う人も少なくない。「マルホランド・ドライブ」にいたっては難解だって言ってる人はさらに多い。まぁ大体が若い世代なんだけどね。。
⑦テンポは速める
それでもテンポ(運び)が遅いと視聴者はチャンネルを変えてしまう。だからテンポ(場面展開)は速くして3分に1度は視聴者を驚かせる場面が来る。これも飽きさせないための工夫。音楽もそうだけど若い世代ほど早めのビートが好き。
実は大した内容でなくても、意味ありげに引きつける。これが後から「なーんだ、おおげさだな」と思われてもかまわない。(あとでちゃんと説明が入る。運びとしては、次から次へと何かが起こるけど、後から思えばたいしたことじゃない。単純に視聴者が知らない事実をもったいつけて解き明かしたり。)
要するにCMを入れても、途中から見ても、チャンネルを変えられないようにすることがすべて。
かくして、大人たちは時代を追うごとに「全部説明してもらいながら楽しむ」ようになった。
まさに1億総白痴化の完成である。これが80年代の後期。つまり60年代から始まっておよそ30年。バブルの時代までに完成。
90年代後期から平成になると、昭和で白痴化した人たちがフツウになり、さらに理解度の低い10代たちに説明するようになる。
「サルでもわかる・・」の登場
サルでもわかる○○入門
初級よりわかりやすくしたのが初心者向けで、それよりもわかりやすくしたのが入門書。
この入門書でもわからない人向けに作られたものが「サルでもわかる・・」と名付けられた。
それが各専門書などでヒット。パソコン、デジカメなどを皮切りに、やさしい図解、ていねいな説明に大きな字。
「1から教えます」よりも「ゼロから教えます」としたものが売れるようになった。
つまり、ゼロから1までの努力すらしなくなった(できなくなった)ということ。
学校の教科書もどんどん文字が大きくなり、イラストが増え、昭和の時期のものと平成のものではずいぶんと内容に差がある。内容(本)が薄くなっているのがハッキリとわかる。
結果、学校で教科書の内容を易しくすると、全体のレベルが落ちるという、何とも情け無い結果が出ている。
テレビはいつも視聴者の中間層に合わせて番組を作るから、いつも偏差値50(平均点レベル)のみんながわかりやすいように作るから照準は偏差値45くらいに合わせていく。
これが10年20年と経つうちに番組はいちいち説明だらけ、図解だらけ、テロップだらけ、再現フィルムだらけとなってしまった。
結局、初心者向けでもわからない⇒入門者向けでもわからない⇒サルでもわかるシリーズとなったわけですね。。
もちろん、こんな風潮に合わせてばかりでは、本当につまらない番組だらけになってしまう!と、それを逆手にとった番組もいくつか出てくる。
昭和の時代から、ずっとある「クイズ番組」ではクイズの達人を集めて優秀な回答者を見せる番組もあった。しかしながら、単純に”すごい人”ばかりになると視聴者にどう”すごい”のか伝わらないので「ふつうのおばかさん」もまぜておく。もしくは「おバカきゃら」という頭がまともなタレントさんに演技させることもあります。
こんな稚拙な演出でもお茶の間は喜ぶわけですね。
「もっとバカに照準を合わせろ!」
言葉は悪いですが、これが視聴率をずっと取り続けるための必須でした。
理由は簡単。仮に20代~30代の偏差値60くらいの人を対象に番組を作るのと、同世代の偏差値45くらい向けに作るのとどっちが視聴者の実人数が多いか?ということです。
後者には40代~50代の主婦もいます。10代の偏差値55くらいの子もいます。ですが、偏差値60となると世の中の3割もいないんじゃないでしょうか?
そして、そのレベルが毎年少しずつ下がっているのだとしたら、10年経ったら、当時の偏差値40くらいを相手にしないと視聴者が「わかりにくい」と言い出すわけです。
だからお利口さん向けの番組は減り、おばかさん向けの番組は増えました。
考えないで、与えられた情報を鵜呑みにする人がどんどん増えました。
それは30年かけた広告戦略であり、アメリカナイズの達成でもありました。
だから短絡的で、意図を汲めない人がマジョリティとなったのです。
楽しいこと=楽なこと
楽しいこと=楽なことになり、努力しないことになり、それは自分で何かを考えないことになり、そして、無用のものとなりました。
第一楽章からはじまってひとつのテーマをいろんな楽器が変奏し、15分後に大きなテーマが登場したときに大きな喜び、涙を流して感動する曲なんて時代遅れになりました。
いつもいつも企業が用意してくれた「小さな楽しさ」を連続して1番組。
それに飽きたらまた、別のものを買えばいい時代がきました。
例をあげると今のゲームもしかり。飽きてくれないと消費がつながらないのです。最初はつまらない(よくわからない)けど、最後に感動するなんて面倒くさいことはやりたくない人たちの完成です。
楽なひまつぶしが大好きで、本当に楽しいことは、途中まで大変だからやらない1億総白痴化完成です。
あとは0.1%の富裕層がずっと富裕層でいられるように企業に投資し、企業は99.9%の市民が「深く考えずに消費するもの」を用意するだけとなった。
これが世の中というか、市民の間ではどういうことになったか?
相手の側からイメージできない人が増えた。
要するに想像力、洞察力が落ちた。とでも言おうか。
もちろん説明すればわかる。しかし説明が無ければわからない(考えない)人が増えた。
「気もちを汲まない」
「意図がわからない」
さらに言うと
「相手のことなんて考えなくていい」
「相手のことまで考えてたら、何もできない」
なんて言葉が聞こえてくるようになった。
相手の国のことなんて考えてたら、儲からない。。
なんてことを考える商売人が大統領になる時代だ。
くわばらくわばら。