昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

【スポ根漫画:野球編④】

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とんでもない野球。これぞ漫画ならではの世界!80年代にむかって登場したのは

超人野球。プロ野球選手もメジャーリーガーもとうてい、、かなわない。

アストロ球団」 

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使った画像はゲームのものだけれど。

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要するに「超人」「魔技」のオンパレード。壮絶な戦い。1プレイで廃人になってしまう選手もいるほどw

これは当時読んでいて

「なんでこんな超人たちが野球をしているんだろう?」という疑問にぶちあたったなぁ。

 

「ヤバイ、、これヤベー」と言っているうちに、何がヤベーのか?わからなくなってくる麻痺感は体感できるw 10倍カレー以上になると、味がなんだかわからなくなってくるような??もしくは爆音系メタルバンドのライブ会場で、何の曲だからわからなくなってくるような??そういうある種のトリップ状態というか、麻痺感はあります。それでも、もっと刺激が少なくなると物足りない感覚。病み付きになった少年もいたのかな?後の「リングにかけろ」もこれに通ずるものがある。。(いやないかなw)

 

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キャラクターの濃さで勝負の野球漫画も登場。

ドカベン

 

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これは野球版「じゃりん子チエ」と言うか、野球版「こち亀」とでも言おうか。
登場するキャラが設定できた時点で、話はいくらでも進むw


こちらのキャラが活躍するために相手チームのキャラも作ると言った感じ?
キャラがそろった時点で物語はすでにできあがっていて、あとはカレンダーの行事にしたがってイベントが起きていけばいい。それでも魔球というよりは現実のピッチャーの球種、打ち方のデフォルメといった感じの「おおげさな野球」が面白かった。
殿馬がいつどこで覚えたのかわからない「秘打」でプレイしてしまうのが興味深い。(天才ピアニストだからの秘打であって、野球の特訓の成果でないところ)

私自身はイワキのシーンが飽きてしまったので、長編の途中までしか読んでいないけれど。ただ、この漫画では鬼コーチのしごきや、特訓によって活躍するのではなく、キャラが持っている個性(特性?)で活躍するのが、今までのスポ根とはまったく違う。素振りをしているのはドカベン山田くらい?(要するにがんばらない

 

そして、ドカベンの世界観はいつも明るく元気で、野球が「道」を究めるのではなく、大好きだってことが伝わってくる。そこが共感を生んだのかと思う。

 

汗と涙と泥にまみれ特訓をして魔球(or必殺技)を開発する「スポ根野球」とはだいぶ違ってきたけれど、そっちがウケル時代になっていた。

 

スポ根漫画の野球は60年代にプロ野球にあこがれた少年たちに人気を博して始まり、70年代になって少年漫画雑誌の売れ行きが伸びる(市民の所得が増える)のとともに広まっていった。

 

まだ戦後の貧しさから這い上がってきたばかりの日本vs戦前からして裕福な象徴のアメリカのように、貧しい子ががんばって裕福な子と勝負する。その時に必要だったのが鍛えた体と根性だった。いかんせん武器がないのだから。

そして勝利したときにこどもたちの中にある種のカタルシスを生んだ。

 

星飛雄馬の家はひたすら貧しかったし、父はすこぶる厳しかった。そんな飛雄馬がリッチな花形と対戦するときに、多くの子ども達は飛雄馬に感情移入した。

ただ、その闘う様を伴宙太が説明し始めたときに、読者は飛雄馬の気持ちを読み取る力を失った。失っていった。そして、80年代なるとタッチに代表されるような、さわやかな画風で特段貧しいわけではなく、先に学園生活がありきの普通の高校生の野球部ががんばって甲子園に行く話がうけるようになった。

 

今回とりあげた野球漫画は大ヒットしたものの一部。もちろんヒットせずに忘れ去られた野球漫画も多々ある。

 

話は違うが、この「巨人の星」については、かの手塚治虫氏が「誰かこの漫画のどこが面白いのか教えてくれないか?」とアシスタントに訊いたというエピソードがある。

読者は「飛雄馬のどこに共感を呼ぶのか?はたまた大げさな演出のどこに魅かれるのか?」ちなみに手塚氏は生涯通じて野球漫画は描いていない。(スポーツものはほとんどない)

主人公が必殺技(魔球、特殊な打法)を繰り出して、その勝負が終わればさらに強い敵(ライバル)が登場。また特訓して必殺技。。これの繰り返し。つまり骨子は同じことの繰り返し。それは面白いのか?と。

主人公の星親子の愛情は歪んだもので、涙をこらえる描写はない。精神的なショックを受けたときに「がーん!」と大きな文字と虎や竜がコマせましと描かれる。エピソードごとにクライマックスで、親友が(作者の代わりとなって)心情を説明する・・・。

先に書いた「ちかいの魔球」のように描写の中に心の機微があるわけでもなく、主人公の人間としての成長が描かれているわけでもない。

つまり手塚氏は「こんなに読者は幼稚になったの?」という少年向けのコミック雑誌のマーケットの白痴化に驚いたんだと思う。追って手塚氏は青年漫画へと転向していく。

 (野球編終了)