小学校4年の終わりころだったと思う。
母に連れられて渋谷へ行った。
初めてプラネタリウムに行った。
母とふたりで、入場券を買う行列に並ぶ。親子連れかカップルばかりだ。
「ここからあとに並んでいただいている方は、次の回のご入場となります。」
そんな案内を聞いて待つこと20分。
後ろに倒れる椅子に座る。
あたりが暗くなり、天井を見上げれば満点の星。
コペルニクスの末裔のような?ゆっくりと話すナレーション解説の中身は
聞いたこともない話ばかりだった。
宇宙に関する天文学的な話。
星座にまつわるギリシャ神話。
近々接近してくる惑星の話。
月食の話。日食の話。。
東横線の日吉駅からバスに揺られて15分のところにある我が家から見える空とは別の夜空が広がっていた。
あっと言う間に時間が経ち、ゆっくりと夜明けの演出に。
あたりが明るくなって15時の回は終了したけれど、ボクは興奮していた。
帰り道、「お腹すいたでしょ?」と聞く母に「うん」と答えて蕎麦屋へ。
ボクはカツ丼、母は天丼。
食べている間もずっと星の話をしていたと思う。
「また来た~い!来月は火星大接近だって!」
遊園地や動物園に連れて行ってもさして喜ばない私が見せた表情を
うれしそうに眺めながら母はゆっくりと食べていた。
食べ終わった母がお茶を飲みながらちょっと困ったような顔をして
「うーん、、じゃぁ来月はひとりで見に来れる?渋谷?」
「うん。ひとりで来てみる。来月は火星大接近の特集だって!」
「だったら、その時にお金渡すから、ひとりで行ってらっしゃい」
そんなような会話だったと思う。
翌月から、交通費+入場料+臨時のお小遣い(たぶん千円)
をもらってひとりで自宅からバスと東横線を乗り継いで。
“星降る東急文化会館の8階”へ。
「北側の外側が一番いい席なんだぜ」
ひとりでプラネタリウムへ行くと言ったら
歳の離れた兄が教えてくれた。
余ったお小遣いで、帰りの駅のスタンドでコーヒー牛乳を飲んだ。
季節が変わっても通った。
相変わらず入場券を買いに並んでいるのはカップルや親子連れが多い。
けれどひとりで渋谷まできているボクはちょっと大人になった気分。
学校では教えてくれない星の話を聞きにきていると思うと
どこか誇らしげにプラネタリウムを満喫していた。
プラネタリウムではその時期に合わせた天体の話をしてくれた。
新しい星の発見。地球の裏側に行かなければ見ることができない星座の話。
天体望遠鏡をねだっても買ってもらえない小学生が毎月通うのにじゅうぶんな話だった。
たまに食べた渋谷駅の構内にあるスタンドのホットドッグは美味しかった。
帰りの電車では来月の予告チラシを読みながら帰った。
プラネタリウムで見た星が実際の夜空とどのくら違う大きさに
なっているのか?そんな「空の縮尺」もだいたいわかってきた。
(プラネタリウムって実はずいぶんと小さい夜空なんだ・・・)
聞いた説明を反芻しながら近所の夜空を見上げても、なかなかお目当ての星にたどり着かないこともしばしばあった。
(えっと、、北極星は、、北斗七星のヒシャクの大きさを切り取ってその5倍進むと、、山にかかった雲しかないじゃん、、みたいなw)
夏は夏の星座。秋は秋の星座。冬は冬の星座。。
気がつけば1年に渡ってほぼ毎月プラネタリウムに行った。
母と行ってからほぼ一年経った時のプラネタリウムは退屈だった。
1年ほど前に聞いた話が大半だったから。
要するに「あ、話が一巡しちゃった。」と感じた。
ギリシャ神話の持つ特有の血なまぐさい部分が前から嫌だったことも手伝って、もう来なくていいや。と思った。
その日は何を食べたいと言うこともなく胸のモヤモヤを抱えたまま、東急文化会館の中のゲームコーナーに行った。
店内はジュークボックスの音であふれていた。
ピンボールは地元綱島のボウリング場でけっこうやってたので、すこし自信があった。
確かその当時100円で3ゲーム。
2ゲーム目あたりで高得点をたたき出して5~6ゲームくらい遊んだと思う。
数ゲームやっているうちに音楽が途切れた。
すると両替コーナーから若い従業員が出てきた。
そこらに置いてあるゲーム機に束になった鍵からひとつを差し込んでお金を取り出し集金袋へジャラジャラ。
ひと通りゲーム機からお金を回収したら、ジュークボックスに行って、その集金袋から小銭を取り出してガチャガチャと投入。
ジュークボックスに10曲くらい?まとめてリクエストした。
流行りの曲が流れ始め、妙に静かだった店内に活気が戻った。もう来ないな。と思った。
いつもよりすこし遅い電車で帰った。
考えてみれば、母と2人でデートしたのって、物心ついた時から数えて何回あっただろうか?多くても10回はない。
おでかけの多くは法事とか病院へお見舞いとか、そんな記憶ばかりだ。
とは言え出かける用事は何であれ、和服を着ておめかしをした母と歩くのは好きだった。
おでかけの用事が済むと母は決まって
「お腹すいたでしょ?何か食べてこうか?」と満面の笑顔でボクの顔を覗き込む。
食いしん坊のボクはいつだってお腹が空いているから、訊かれたら必ず
「うん、お腹空いたぁ」と返す。
“息子のお腹がすいたんだからしょうがない!今日は料理せずに外食にしよう”
という正当な主婦の言い訳を子どもながらに理解していたんだと思う(苦笑)
行き先は蕎麦屋。
母は天丼、ボクはカツ丼。いつもそう。
母はモリモリ食べるボクの顔をよく覗き込んでた。よく笑ってた。
今思えば、あれは母の数少ない、ささやかな贅沢だったんだろう。
息子と外でおいしいものを食べる。
息子の興味があることを聞いて、近い将来をすこし想像してみる。
息子が覚えた流行りの冗談を聞いていっしょに笑う。
それは生活が苦しくても、弱音を吐かない母のストレス発散だっただろうし、
けっしておおげさでもない明日への活力になっていたんだと思う。
無邪気によく笑う可愛い人だった。
89才でこの世を立つ直前までその可愛らしさは変わらない人だった。
あの時ボクはさびしかったんだなぁ。
そんなことに気が付くのに何十年もかかってしまった。
そうだ。ピンボールのTILTが点灯したのもあの時が初めてだった。
あれから40年以上過ぎた。
あの頃の渋谷はもうない。
そして寂しいことに気づかない人は増えた気がする。