昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

夫婦が2人とも癌で。

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今週のお題「激レア体験」

 

今となってはそれほど珍しくはないのかもしれない。

もうかれこれだいぶ前の話になるが、私の叔父と叔母の夫婦の実話。

 

子どもが2人いて、ともに学校に上がる頃になると、この夫婦仲はさらに悪くなった。

私の母は、叔母の姉にあたるので、叔父とは血がつながってはいない。

 

そんな母は、この叔父の悪口をよく言っていた。

まぁ姉としては妹の言い分を聞いては、よくよく同情していたのだろう。

母のセリフはいつも決まっていた。

「あの男(叔父)はケチで気が小さいから(叔母から)話聞いてるだけで腹が立つ」

「男のやきもち焼きってのは手に負えないね」

「気が小さい奴に限って、酒飲むと、あれるんだよね。この時とばかり文句が出てくる。『あの洋服はいつ買った?』『あのバッグはいくらした?』『おれの金を勝手につかいやがって!』・・・飲まなきゃ優しいんだけどね」

などなど。

要するにふだん優しい叔父は、気が小さくて文句ひとつ言わないけど、酒乱の気があって、酔っぱらうと、ずっと文句を言っては怒っているらしい。

 

正直、聞いているこっちまで気分が悪くなるようなことをいくつも聞かされた。

そんな叔母は「家出してきちゃったのよ。あはは。今日はいっしょに飲もう飲もう!」なんて我が家に泊まりに来たことも何度かある。

 

陽気でカラオケがすこぶる上手な叔母のことを私はけっこう好きだった。

 

そんな叔母が60を超えたあたりで癌が見つかった。

ステージ4。余命は1年から1年半。

叔父の判断で「妻(叔母)には知らせないでほしい」と医者にお願いした。

 

入院、手術、退院。

胃にできた大き目の癌を摘除して縫合。転移したすべてを取り除くのは無理との事だった。

 

治療には丸山ワクチンを投与することになった。

退院して通院をしながらの叔母はけっこう元気だった。

「あの人、私が病気してからお酒止めたでしょ?とってもやさしいのよ。あれから怒ったこと無いわ!まるで私がもう死んじゃうみたいじゃないの。やぁねぇ」

明るく笑う叔母。自分の体をいたわってくれる叔父のことを喜んでいる。

こういう光景は正直幼い頃から見たことなかったけど、甥としてはうれしい限り。

 

結局、叔父は叔母の癌のことで、かなりのショックを受けて、叔母が退院したその日からずっと酒を止めた。

 

叔父は明らかに変わった。酒乱からお酒を抜いたら、ほんとにやさしい叔父さんになった。まったくやらなかった家事もやるようになったと叔母が言う。うちの母が一番驚いていたみたいだ。それでも叔母にその本当の理由は言えない。誰も言わなかったし。それでよかった。

 

それから半年も経たないうちに、今度は叔父が癌(ステージ4)になったことを知らされた。叔父も余命1年余りと言われた。

この話はもちろん自分の事を知らない叔母からの電話だった。

 

叔母は「気の弱い、優しい叔父」には知らせないでほしいと、医者の告知を断った。

2人が通う病院は違う場所だったけど叔父は入院して手術。そして退院した。

 

叔母は「やっと仲良く暮らせる夫婦になったのにあと1年しか時間がない」と夫の病気を嘆いた。

叔父は「自分は治ったのに、妻(叔母)には時間がない」と妻への気遣いがさらに増した。

 

「時間が無い」と思う気持ちがお互いの思いやりを生んだ稀有な夫婦の話。

 

結局叔母はこの後5年ほど生きて、生涯を終えた。

叔父は叔母の葬儀が済んでから3ヵ月ほどで後を追った。

 

何十年も喧嘩ばかりしてきた 妹夫婦の最期の数年だけ神様が「幸せな時間」をくれたんだね。と母は言った。

 

忘れられない。