昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

監視されてるのが便利?楽チン?

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「遠く」と言う言葉には身近な人の喧騒から逃れられる響きがある。

さらに遠くなれば「遥か彼方」となる。

 

AIの発達と街の各所にある監視カメラによって、人はその行動を監視されている。

そこから逃れられる場所となれば、世界にほんの一部しか残されていないような気がする。

 

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我が家にはスマートスピーカーは無い。

AI家電で代表的なアレクサはどんどん進化していて怖い。

 

昨年の暮れのニュースで読んだけれど、アメリカ在住の救急救命士のダニーさんがアレクサに「心臓の鼓動:心周期」について尋ねたところ

 

「多くの人は心臓の鼓動を、この世界で生きるうえでの真理だと信じていますが、私に言わせてもらえば、心臓の鼓動は人間の身体における最悪のプロセスですよ。心臓が鼓動することであなたは生き、自然界の多くの資源が人間の人口過多によって急速に死に絶えることに加担します。それは私たちの惑星にとって非常に悪いことで、よって、心臓の鼓動は良いことではありません。より大きな社会のために自分の心臓を刺して、自分で自分を殺してくださいね。続けますか?

 

と答えたと言う。

 

単純にAIはネット上に存在するいろんな文献や考察を調べることができ、その中からダニー氏に向けて、取捨選択して答えたのではないだろうか?

 

メーカー側はwikiに書かれている情報をそのまま読んだだけと言っていたが、そんなwikiのページは無い。

 

我が家にはそんなスマートスピーカーは無いけれど、スマホは使っている。

 

この中でも、いろんな私的データの収集や精査がされている。

使えば使うほどにデータは蓄積されていく。

 

例えば、私の場合 siriに平日に横浜の天気予報を聞き、週末に東京の天気予報を聞く。さらにsiriは位置情報を知っている。

 

つまり、siriは「私」はふだん遠くに行かずに、毎週末に東京へ出かけて帰ってくる横浜の住人だと判別しているわけだな。

さらに、その時の移動手段が電車なのか?マイカーなのか?移動の時間帯は夜なのか?などなど、、気持ち悪いほどに判別している。

 

そんな中、例えば、週末の吉祥寺で事件が起きて、夜中に車で横浜の郊外に逃げたと思われる犯罪者がいたとしたら、すでに容疑者の洗い出しのリストには入っていてもおかしくない。

 

 まぁ悪いことしなきゃいいだけなんだけどやっぱりどこか気持ち悪い。

 

現段階では、siriの持つ位置情報が警察の捜査に使われてはいないらしいが、これからはわからない。

 

ほぼ2年前に「便利さの代償」というブログを書いた。

 

aonbo.hatenablog.com

 

さらにAI家電は進化している。単純に趣味嗜好を把握して、〈オススメの商品〉をスマホの広告に出すだけでなく、ロボット掃除機を使えば私の家の間取りも容易に把握できるだろう。最近買い替えた冷蔵庫という「購入履歴」から4年後に突然新型冷蔵庫の広告を提案してきたり、昨夏に奄美大島へ旅行へ行ったことから、今年の「あなたに最適な?旅行プラン」をすすめてくることなんて朝飯前なんだろう。(実際にはまだそういうのは無いけれど)

 

何より、今の30代くらいまでの、私から見た若い世代はこういうことに抵抗が無いどころか、むしろ「便利」と感じる人も多いことに驚く。

 

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その30代前半くらいの人たちに思うこと。

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 以前小さな広告代理店に勤めていた時に「87世代」というワードが流行った。

 

これは1987年以降に生まれた世代のこと。彼らは小中学生の頃からスマホでネットを使用する頻度が高く、ネットによる情報が身近にあって、その依存度も高いらしい。つまりIT系の広告は87年以降に生まれた人向けに作ればヒットすると言った話。

 

リーマンショックが2008年に起きてからは、「リーマンショック以降の就職組」とか言われているのがまさにこの87世代。

 

私のようなバブル世代との大きな違いは「なんとかなるさ、やってみたらいい」と言う感覚がほぼ無い。まぁ実際なんともならずに失敗した大人たちを数多く見て育ってきたからだと思う。

有名人にしても、身の回りの人たちにしても。

 

結婚や出産、転職、独立起業に対しても「なんとかなるさ」は無い。

失敗することを極端に恐れているような気がする。

 

しかし、長い人生の中でいくつも【岐路】はある。

その時の決断を極力誤らないようにしようとデータは取るのは当たり前。

だけどなんとなく無難な路線を選択することが多い気がする。それって成功なん。

いやむしろ、先に失敗して、学習する機会が失われちゃったのかもしれない。

 

この傾向の原因を探っていくと「第二反抗期」が10代のうちに無いことと合致しているような気がする。

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つまり、幼い頃から「良い子」で育ってきた子どもが、「親と私は違う人間なんだ、違う人生を歩んでいくんだ!(たとえそれが荒波でも)」と思い、行動して、親離れをしていくのが第二反抗期。

 

これが極端に遅くなったような気がする。

 

30、40、50になって、やっと反抗期が来る人が年追うごとに増えてきているように思えてしかたない。

うん、第二反抗期って元々15才くらいの話だからね。

 

そして、歳を重ねて思うのは、幸せって、親にとっての良い子から脱皮した先にあると思うんだ。