昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

入院日記(咽頭ガン摘除の6日間)

昨年からのガン宣告の流れ?は先に書いたので割愛。

 

aonbo.hatenablog.com

 

さて、昨年10月終わりに発覚した悪性の甲状腺腫の摘除の手術のため4月に入院となった。遠方からの患者も多いこの病院では、入院(手術)まで半年近く待たなければならなかった。

 

半年待つ。。一番心配だったのは、甲状腺ガンが悪化すること。

 

私「4月の予定ってかなり先の話ですけど大丈夫ですか?」と聞きました。

医師「青さんは急ぎの患者さんではないので大丈夫です」

(なんだか安心と言うか、納得w)

 

「他の病院で早く手術できるところを探しますか?」とも言われたけれど

それは丁重にお断りして、お任せしました。

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と言うのも、どこで調べても、誰に聞いても、この I 病院が一番と言う。

 

ここは甲状腺の専門病院で、一言で言うなら日本で一番の病院との評判で。。

 

単純にネットの書き込みも、リアルな患者さん(orその親族、知人等)の口コミも、さらに医療関係に従事している方々の評判もとても良い。

 

病院の2階のパネルを見るとわかるんですが、古くから実績のある甲状腺病の権威だと言うこと。ここが日本の甲状腺研究の最先端などなど。。

 

まさに、いいことばかりなので脇目を振らずに待つことにしました。

 

そして桜が散り始めた頃に入院。

 

***ここから入院日記**********

 

以下は2019年4月の私の入院と手術についての記憶に基づくものです。

 

・入院初日。

医療事務さん、ナースさん、薬剤師さん、そしてドクターからの説明と検査。初日から退院まで何をしていくのか?全てが書かれた表がベッドにあって、ほぼそれに沿って入院生活は進む。こういう、、いわゆる見える化で、患者は安心。

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ベッドで着替えると同時に患者の手に巻かれ、退院する際に外されるバーコードの腕輪。全ての数値や処置がバーコードによってデータ化されている。このシステムが、確認と連携、ひいては安全と安心を生んでいるのだろう。

 

初日は緊張(不安)からか?? 頭痛。。

夕飯のハンバーグ定食はまったく食べられなかった。夜は寝られたけど。

 

・2日目。

朝になって、昨晩の夕飯を抜いたことをナースに伝える。午後から手術にて朝食は無い。「手術の前にお腹空いちゃいますね。」とナースさんのスマイルとともに言われたけれど、まったく持ってお腹は空かなかったw昨日からの頭痛は収まっていた。

「11時になったら水も飲んではいけません」と朝の検温時からナースさんに何度か言われた。

 

午後2時頃から全身麻酔甲状腺全摘出にて腫瘍摘除の手術

 

始まる時間が1時間以上遅れた。特にやることもなく、単純に喉元を切られると言う想像が勝手に頭の中をぐるぐる。。

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あぁ、、すみません。すみません。

 

けれど、手術台に乗せられて麻酔の点滴が始まったら、本当に3秒で意識がなかった。

 次に目が覚めた時には全て終わっていた。

 

「青さん!青さん!起きてください、わかりますか?」と起こされた。

(あ、体が動かない。。)

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※ 右腕には血圧計、左腕には点滴。左手の指には脈拍計、鼻に酸素マスク、喉元の傷口はテープで固定、ドレンが傷の脇から出ている。脚は2本ともフットケアマッサージ器がはめられている。つまり四肢がなんらかの機器に繋がれていて、首は動かせない状態。

 

「手術は無事成功しましたよ。声帯も大丈夫。」目が覚めた時に、ドクターが私を安心させてくれたのを記憶している。

 

そして手術が終わった日の夜は大変でした。(大変だったのはナースさんだけど)

①麻酔が切れてきて痛い。

夜中に何度も何度もチェックにきていた可愛い夜勤のナースさん。

私の四肢に繋がれたリアルタイムのデータ数値と経過時間を見ながら脚の簡易マッサージ器から解放され、酸素マスクも、外れた。

「時間も経過しましたし、数値も悪くない」とのことで鎮痛剤を摂取。

 

②飲めない。。

首を動かそうとすると力が入らず、痛ひ。。

実際に口から鎮痛剤を飲むのには上半身起こす必要があるけれど、、2cmでも首を動かすとものすごく痛い。

最初体を起こすなんて、まったく無理だと思ったものの、ナースさんの言う通りに順番に手足を動かして行くと、とてもスムーズに上半身が起き上がった。2度ほど口をゆすいで、ゆっくり鎮痛剤のピルを飲みました。スッと飲めました。ちょっと不思議なくらい楽にできて感動w

 

いつの間にか腕から血圧計と脈拍計が外されていた。

 

③唾を飲み込むたびに痛ひ。。

健康な時は全くもって意識しないけれど、人がものを飲み込むと言う動きはかなりいろんな部位の動きが複合的に行われているのを、身を持って知る。テープで傷口を固定されている喉が、唾を飲みこむだけでかなり痛い。じっとしていれば痛みは無いけれど。

 

・3日目。

明けて早朝に、ナースコールをして鎮痛剤を飲むことを伝えた。

(鎮痛剤は5時間以内に服用してはいけないと書かれているが、前回は夜中の何時に飲んだのか?まったくわからなかったため確認)

 

その鎮痛剤が利いたのか?朝の検温時には痛みはほとんど無かった。

そしてお腹が空いていると言う自覚は無いまま?5分粥は完食。

 

まだ首に力を入れると痛くて寝返りは打てないまでも午後もよく寝られた。

 

昼のお粥のお供に?出てきたのが海苔の佃煮だった。

実は入院前は甲状腺腫にヨードは良く無いと医師に言われて、食事制限をしていた。

ヨードは主に海藻類に多く含まれている。だから海苔、昆布(昆布だし含む)、もずく、わかめなどはこの半年以上ずっと食べていなかったわけだ。

 

で、ナースに聞いてみた。

「ヨードは摂取してもいいの?」

「いいですよ。もう甲状腺は無いので」

これは個人的に朗報だった。退院したら鉄火巻を食べたいと思った。

 

・4日目

夜中に起きたり、昼寝をしたりと、生活のリズムはまったく無くなってしまった。ただ身体が日を追って回復しているのが良くわかる。

一番は歩く速さ。

廊下に出て、食事のトレーを運ぶ時の歩行のリズムが戻ってきていた。点滴も午前中に一つ終えたら、針を抜いてもらえた。(こういうのも予定表に書かれている)

 

午後になって、傷口脇にあるドレン(管)を抜いた。どれだけ痛いのか?と思ったら全くもって痛く無くちょっと拍子抜け。

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これで身体に繋がれていたものは全て取れた。あとは傷口を保護しているテープだけ。これは退院してから毎週取り替えて、3週間ほどはかかるとのこと。

 

夕方には複数の友人がお見舞いにきてくれると言うのでシャワーを浴びて待つ。

昼前にスマホyoutubeで洋楽でも聞くか。。

 

youtubeの動画の中に、昔の洋楽のレコード(CD)を丸ごとアップしている「フルアルバム」で名盤を検索。

最初にフォーカスの「Focus 3」と「Humburger Concert」、それからビートルズWhite Albumを順に聞いた。

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この3枚とも、アルバム通して聞くのは初めて。残念ながらエリックのギターソロの途中で昼ごはんwリスニングタイムはそこで終了。

 

午後はもう少し元気が出てきて、ツマさんが持ってきてくれた文庫本を読み始めた。

宮部みゆき先生の初期の作品。

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で。文中に、書かれている住所。。金町の製紙工場とか川口市南町とか。。私は横浜に住んでいるので、東京の下町も川口もあまり馴染みが無い。

 

で。元気な入院患者は、ひたすら暇なので、スマホのアプリを使って、その町の景色を検索しながら読んだ。

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※金町の三菱製紙 中川工場跡

 

夜はお見舞いにきてくれた友人と談話。たくさん笑ったせいか、久しぶりに話をしたせいか?夜は幸せ気分でぐっすり眠りました。

 

ありがとうKちゃん、ありがとうH田さん、Mちゃん、Aクラさん。

 

・5日目

食事も普通食になって、ますます元気に。この日のランチは、スペシャルメニューとの事で、献立表には「お楽しみ」と書かれていた。出てきたのは、とってもカラフルなサンドイッチとフルーツの盛り合わせでした。(なんか遊び心があっていいなぁ)

 

初めて病室に飾ってあった絵にもやっと目が行ったw

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5日目にて、ようやく日常生活に戻った。

隣のベッドの患者さんは一足先に退院していった。

 

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私のいた4階の談話室の窓からは大きなリンゴも見えた。そろそろ買い替えなんだよなぁ・・・。

 

・6日目

朝ご飯が済んで、右手首のバーコードを外して、予定通り退院。

 

近代的な最新医療システム。信頼できるドクターと本当に優秀なナースチーム。ここの口コミが素晴らしいものばかりなのがよくわかりました。ありがとうございました。

5泊6日の入院生活は、待たされる事なく自動清算機で支払いを終えて終了。

 

それからツマさんと表参道でゆっくりランチを食べて帰宅。

 

***入院日記はここまで***********

 

改めまして多くの温かいメッセージ、そしてSさんはじめ何人もの方のお言葉添えやアドバイスに感謝です。ありがとうございました。素晴らしい病院でした。

 

心配していた声も少しずつ出るようになってきています。まだ張り上げられませんけれど、ゆっくりリハビリしていきます。

 

最近では元気が余ってボルダリング???

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ひ、、低いww

 

あぁ、、仕事も探さなくては。。

 

※最後に一つ付け加え。

実は今回の手術では、腫瘍を摘除するための甲状腺の全摘だったのですが、ドクターM氏は予定していた事以上の処置までしていただきました。深く感謝しています。と言うか感動しました。これからもよろしくお願いします。(M先生はまず読まないと思うけどw)

 

 

 

甲状腺の腫瘍は悪性でした

私の中にできたガンの話です。最初に書いておきますが、手術は成功に終わり、予後も良好です!

 

以下昨年の時系列を追って。

 

2018年5月。会社で受けた4月の健康診断の結果は特段悪くなかった。

 

2018年6月。KISSのトリビュートバンドでライブイベントw

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一番左のエースが私。エースと聞いてピンと来る人は次回のライブ(未定だけど)でお会いましょうw

 

2018年7月。原宿クロコダイルで歌謡曲バンドのお助けギター?を弾く♪

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写真でもわかるけれど、喉ボトケの下にあるしこりがある。これが気になり出した。(スーパーボール1個分くらい?)

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で。

2018年7月下旬。地元横浜の病院へ。「とりあえず行ってみた」という感じ。

その場で触診&エコー検査。

エコーで確認できたのは甲状腺に大小4つの腫瘍(しこり/腫れもの)があるとのこと。それから血液成分検査をした。その結果は3週間後とのこと。

 

甲状腺腫はその多くが良性腫瘍で、あっても1年に直径1mmくらいしか大きくならないらしい。

 

 医師「しこりはこのまま放置していても問題ないですが、ちょっと大きいので、ジャマなら摘除も考えて行きましょう。基本・・様子見ですね。」

 

2018年8月。血液検査の結果は悪くないとのこと。甲状腺はちゃんと機能しているのでホルモンなどの数値も問題ない。

「基本・・様子見ですね。」もう2ヶ月ほど様子見w

 

スミダのジャズフェスにも出よう♪

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フェスの周遊バスの中で大合唱ww

 

 2018年9月。様子見という言葉にうんざりな私の顔を見てか?

「ご心配でしたらこの腫瘍の細胞を摘出して精密検査をしてみることをおすすめします。この病院では外科的なこと(検査含めて)はできないので東京の病院を紹介します。」とのこと。

 

2018年9月。紹介された病院へ行く。

病院ではまた検査。エコー検査+血液検査。結果が出るのは3週間後。細胞を取る検査が必要かどうかのものらしい。ただ先に検査した数値分析は持って行ったので、それを見た医師。

「このデータからすると橋本病ですね。今回の検査結果を見て、細胞を摘出する検査をするかどうか決めましょう。」(また様子見。。)

 

2018年10月。摘出した腫瘍の細胞検査結果。

甲状腺の腫瘍は悪性でした」

(おっと、ガンか。。)説明は続く。

「ただ、転移は無く、甲状腺ごと摘除すれば完治します。手術の予定ですが、、一番早くて4月上旬になります。申し込みますか?」

「はい」ということで手術の日程は2019年4月上旬に。

 病院から出てすぐにツマへ電話で報告。

 

その夜はプログレユニットのリハだった。

音楽をやってりゃガンもおとなしくしてるだろう、、くらいの気持ちでバンド活動は続けた。ガンかどうかは別として手術が必要な話を音楽仲間に伝えた。まっすぐに励まされて心強かった。これは本当に感謝に絶えない。

 

しかし、ガンが自分の体内にいることは事実。私の父も祖父も叔父も叔母もガンで命を落としているので、最悪のことが頭から離れない。

 

医者は大丈夫と言っても、実際に手術をしてみたら、いくつかの転移が見つかるかもしれない。兄夫婦と二人の子供にはそれぞれ個別に時間を取って話をした。

 

「実は甲状腺ガンで手術をすることになった。甲状腺ごと摘除すれば完治すると言われた。」

話の要点はこの二つだけ。

 

とは言え、さすがに説明している私も、聞く側も、シリアス。

元来湿っぽい話は苦手だけれど50も後半。そろそろ自分の終わり方を考えておくのも悪いことじゃない。幸い息子は32だし、娘も30だ。まぁ淡々と話した。

 

11月は前から関西ミニライブをやると言う企画を進めていた。もちろんそれは決行。

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旅行を兼ねて忘れられない楽しいミニライブ@京都だった。

 

病気は、いい機会とプラスに考えて?生活を一から変えることにした。

 

 11月中旬には、社長に退職の話をして、引き継ぎにおよそ1ヶ月。

2018年12月25日。会社を退職。9年前に小さなリフォームの会社に転職してきた60近いオヤジが辞める話だ。退職金も有休消化も特に無い。ガンになったので辞めると言えばサクっとw

 

2018年1月〜3月は時間もあって、ライブだの録音だのといろいろ音楽活動に精を出した。

 

なにやら「手術の後は声が出なくなるかもしれない」なんて医師に言われたものだからやれることはやっておこうと♪

 

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そんなこともあって、手術直前の3月には、私のための私のバンド「パパデュ」のミニライブをやった♪


パパデュ live digest

 

で。2019年4月「入院+手術」という流れに。

 

話を特に引っ張る気は無いので、冒頭に書いた通り手術は無事成功!

 

今は自宅で、晴れ晴れとした気持ちでブログを書いている。

 

手術から10日ほど経過した現在、予後良好。まだ声は本調子では無いけれど、徐々に良くなってきている。(えいっと、声を張り上げて歌えない)

 

長くなってしまったので、入院日記と私の変化の詳細については次のブログにて。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

あの日から福島「星がよく見えた」という話

東京の郊外にある、(うちのツマさんがとお義母さんが住んでいる)都営住宅にも被災地から避難されてきた方が数世帯住まれていた。 

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その方たちは今年3月の支援打ち切りの期限を定められて、その全世帯とも、都営住宅から引っ越されたという。

 

つまり、4月から東京都に住民票を移して都営住宅の規定家賃を払って住むか?もしくは出て行くか?という二択。

数組のご家族が故郷へ帰られたのか?はたまた別の土地へ行かれたのか知る由もない。

(ちなみに被災地ではおよそ10万人がまだ仮設住宅に住んでいるとの報道がされていた)

 

 

毎年3月11日となるとテレビでは被災地の模様や、被災者の現況などを映し出す。

もちろんそれは悪いことじゃないけれど。

 

どこかシルバーシートみたいな印象を受ける。

シルバーシートでなければ席を譲らない人たちが出てきてちゃったり、席が空いているのにシルバーシートだから座らないという変な感覚の人が出てきちゃったり。。

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※道路の復旧はだいぶ進んだとのこと。
 

3.11の前後、数日間だけ災害について特別番組を編成して、当日、当時に黙祷をして、桜が咲く頃には何も放映されなくなる。

 

番組内で「忘れちゃいけない」なんてメッセージを聞くと「忘れていたいのはマスコミでしょ?」なんて意地悪なツッコミが私の心の中に湧き上がる。

 

 

番組編成の3ヶ月に一度くらい5分枠でいいから、各地の復興についての報道があってもいいのに。数字数字なんだろうなぁ。

 

+++++++++++++++++

 

何か大きな力に遮られて、どうにもならなくなった時に、原点に帰る。帰る場所が今は無くても、心は原点に帰る。そして顔を上げてまた歩き出そう。

 

このHOMEという曲は被災された方々が「夜は空を見上げて星を見ていた」というエピソードを聞いて書いた。

 


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