昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

カツラとダイエットとメガネ。

【コンプレックス商売】と言うのがある。

◯カツラや植毛・育毛剤

◯ダイエット関連

シークレットブーツ

要するに見た目変えたい願望が購買意欲になるもの。

 

広い意味では整形手術や化粧品の一部も含まれるかもしれない。

 

ではメガネはどうだろう?

 


以下は昔の私の話。

 

**********

 

小学校入学の時に身体検査で引っかかった。

「色神」

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クラスのみんなの検査が済んでいるのに1人だけ居残り検査。。

(今でも、この画像に書かれている数字がわたしの裸眼では見えないのです)

 

検査終えてクラスに戻ると声がした。

「ねぇねぇ、このノート何色だかわかる?」

「え?!」

「この服の色、何色だか言ってみて」

「。。。」

「このハンカチは?」

「。。。」

 

好奇な目。

私には「みんなができる事」ができない。

(劣等感。。)

 

色盲」というレッテル。

 

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その教室の光景は50年以上経った今でも鮮烈に覚えている。

 

小学校の内に2度転校した。

 

そのたびに「色の神様」という名のまだら模様に悩まされた。

 

それでも小学校の成績はけっこう良い方だった。

 

私の母は教育ママゴンで、有名進学塾に通わされた。

 

8つ上の兄が大学受験に苦労したこともあって教育ママゴンは私を大学の附属中学に入れたかった。

 

そんな経緯もあって、私は推薦で某工業大学の附属中学に入った。

 

母は「エスカレーター式」で工業大学へ行って工業系の大手企業に入る事を考えていたようだった。

 

一浪して大学に通っている兄にその話をした。

すると兄はいつになくシリアスな顔で話し始めた。

「そうだねぇ。。あのね。お前もオレも色弱だから電気メーカーとか無理だと思うよ。」と言われた。

 

言葉を無くした。。

 

しばらくしてから担任に相談した。

担任「調べてみたけどね。理系の会社の就職はまず無理だから、うちの大学出ても数学の先生くらいにしかなれない」と言われた。

 

中2の冬。

「公立の高校を受験したい」と母に言った。

 

母には「色弱だから」とは言えなかった。

ボンボンばかりの私立の男子校は嫌だと言った。

 

神奈川県立高校の受験は当時、中2の時点で県下一斉のアチーブメントテストと言うのがあり、それを受けていない私の受験は不利と言われた。

 

それでも附属中学の仲間と一緒に高校へ行く気はしなかった。

結局ランクを下げて県立高校に入学した。

 

高校時代はとても楽しい学園生活だった。

しかし大学受験はつまずき、志望校へは行けなかった。

 

母は、私を工業大学の附属中学に入れた事をずっと悔やんでいた。

 

それから社会人となり、いっぱしの営業マンとして売り上げ作って人1倍稼いだ。

結婚もしたし、子供も授かった。

30代40代で転職もしたけど就職先で困った事は無い。むしろ行く先々でけっこう楽しい事ばかり憶えている。

 

なのでコンプレックスはあったけど私自身、進路だの務め先だので後悔はない。

 

と言うか「色弱」で日常生活に困った事もほとんど無い。

 (運転免許もまったく問題ない)

 

そんな私が還暦になって最近になって知ったもの。

 

色覚補正メガネ。

 

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お店で検査をして、差し出されたレンズをあててみた。

 

(あ!)

 

 

裸眼では見えなかった色神のまだら模様にクッキリと「57」と描かれているのが見えた!(上の画像)

 

声が出ないほどの衝撃だった。

 

 

↓こちらは穴の空いている箇所を指すテスト。

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(これ元から見える人には当たり前すぎて何ともないとは思うけどw)

 

 

ショックを隠しつつ(隠さなくてもいいんだけどw)購入申し込みをして帰宅。

(出来上がるまで1週間ほどかかった)

 

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(かけたばかりだと世の中が赤く燃えてますw)

 

購入した日。

家路の途中から若い頃の事をずっと考えていた。

 

おそらく私は「色弱」と言う劣等感にずっと蓋をして過ごしてきたんだなぁと。

 

パイロットになりたい少年が遺伝による極度な近視で諦めたのとはちょっと違う。

 

バレリーナになりたかったけど体格が合わずに諦めた少女ともちょっと違う。

 

そんな、たいそうな話ではなくて。

 

国籍の違う親から生まれて日本で育った人たちともちょっと違う。

そんな大きな社会的な障害の話(差別的迫害?)でもなくて。

 

大学の付属中学のクラス仲間といっしょに勉強して遊んで、エスカレーターで大学までいっても、自分だけは就職先が限定されてしまうというだけの小さな話。

 

「もし50年前にこのメガネがあったら違ったのかな?」と、ただただ思う。

 

正常とか異常とか、識別能力の優劣とか、そんなことじゃなくて。

 

なんと言うか、このメガネで見ると自分の記憶にある「色の名前」とその「色」が一致しないだけ。。

 

3日間くらいは、なんだかヒザに力が入らないような気分だった。

 

 

さてこのメガネ。使ってみて、効果?効用?はしっかりわかる。

 

パソコンで動画編集をしている私にはとってもありがたい。地下鉄の路線図もずっと見やすくなったし。

 

かなり補正されているようだ。(検査結果も100%ではなかった)

 

参考までに書いておくと。

 

私は「強度第二色弱」と言って赤と緑の判別能力が劣る。通称「赤緑色弱

 

色盲との違いはハッキリとした赤と緑は判別できる。信号機の色などは問題なく判別できる。

 

ただ薄い茶色や黒に近い緑など、明度や彩度の低い場合は間違えることが多い。

 

それでも同じ素材に焦げ茶色と深緑が並べてあれば同一視や混乱はない。(比較するとどっちが茶系か緑系かだいたいわかる)

 

この赤い色覚補正レンズは全体の色を少し暗くして赤系がよく通り抜けて見える仕組みになっている。

 

結果真っ白い壁紙は少しピンクがかって見えたりするが、慣れてくるとそれは脳が判別の補完をしてくれるようだ。

 

※この補完して認識させる能力も色弱の人は弱い気がする。

 

近視や老眼などのメガネやこの色覚補正メガネ、補聴器なども含めてコンプレックス商売と言うよりも、もっと生活に密着した医療器具(補助具?)なんでしょう。

 

印象的だったのはメガネをかけてる店員さんが検査の際

「(裸眼で1.0の結果に) ほー!うらやましい!」

と視力の良さにはおどろいてた事。

60になっても老眼の症状もなく、視力はいい。

 

コンプレックス。

 

誰でもが、自分より他人が優れているとわかれば、羨むもの。

 

身長差とか、スタイルとか、髪の毛の量とか、身体的にいろんなコンプレックスがあるし、それにまつわる商品もたくさんある。

 

とまれ、、今回の色覚補正眼鏡は、私にとって、「とっくにあきらめていたモノ」が手に入った週末でした。

 

さーて動画の編集でもすっかな?(^^;

 

 

※なお、このブログは100%某眼鏡店のステマではありません。

よく読んでいただければ、ご理解いただけるとは思います。

色弱、もしくは色盲の人の誰もが私のように見えるようになるのか?否かはまったくもってわかりませんし、もちろん保障もしません。

ご自身で色覚補正レンズについて確かめたい方は、通販などでの「色覚補正レンズ」というものを試しに買う前に、お店に行って検査してみてください。

検査だけなら3000円ほどです。

 

ちなみに今回のメガネの価格は検査料込みでフェンダーの中古が買えるかな?くらいでした。

 

 

道具が人を操る話

「弘法は筆を選ばず」なんて言うけど。

ちょっと雑な言い方をすると「道具には人を操る力」があると思う。

 

身近な例で言うと「案内状」ひとつ作る時。

word文書なのかエクセルなのか?もしくはMacイラストレーターで作るのか?

もしくはスマホでどこかのテンプレートをアレンジするのか?

 

これらのアプリにはそれぞれ特性があるから、見る人によっては何(アプリ)で作られたものか?すぐにわかる。

 

もちろんわかったからって何ということでも無い。

 

ところが。。

 

目の前にA4の紙があって、脇に色鉛筆があるとなんとなく絵を描いてしまうし、筆ペンがあれば名前や住所を書きたくなる。中には「御中」なんて練習しちゃう人もいるかもしれない。

 

同じように、ちょっとギター弾ける人にレスポールを渡せばブルースロックのハードロックを弾きたくなる。

335を渡せば渋いブルースやBb13th(コード)や16ビートのカッティングをきざみたくなる。

 

つまり「こういうふうに使うモノ」と脳が覚えている。

 

逆。bggn

人が道具に使われてしまう。

 

スマホを持つとさしたる目的無くSNSを何往復。

 

銃を持てば撃ちたくなる。

 

兵器を持てば。。

 

 

 

 

 

今年の桜。

「今年の桜は何か汚いな。うん、なんて言うか、きれいじゃない。」
と職場の先輩が言った。

意味合いとしては満開になのに、どこか葉桜のようだと。

 

けれど、私にはその言葉が別の意味に聞こえていた。

彼の中で、桜の開花を「心待ちにしていない」感じがした。
お酒の好きな先輩は、盆暮れ正月と同じくらいに毎年の花見が楽しみなのに、今年は待っていない。

ささやかな行事(宴会)も、ないとあきらめていた。

 

桜。今年も先輩は花見に行かない。

 

それでも昨年はまだよかった。
どこかで「みんなで自粛している(がんばってる)感」があって。

 

「あぁ桜きれいだな、この時期がまんすれば美味しい酒が飲めるんだから、みんなでガマンだ。。」と横目で見ながら近くの名所を通り過ぎた。

 

ところが今年の先輩の言葉はちがった。

「桜、、うん、なんか、やっぱりそんなにきれいじゃない」


好きだった異性とすれ違ったのに、ときめかなくなったような響きだった。