昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

ヒトの器官とオザケンの話

 ネコの目を見るとよくわかるけれど、明るい時は瞳が縦に細くなって、暗い時には丸く大きく開く。

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瞳孔が開くとか閉じると言う話。

 

これは光センサーが働いている。カメラにもあるし、もちろんヒトにもある。

 

耳にもある。

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音楽、こと録音をやっていると「入力ゲイン」というのがあって、この光量の調整のように音量の入力値を上げ下げする。

 

これもちゃんとヒトにあって、ロック系のライブ会場などの大きな音が鳴り続ける場所に行くと耳は入力ゲインを下げて聞くようになる。だからロックのライブの最中に寝ちゃう人もいる。

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「よくこんなうるさい場所で寝られるね」と言うけれど、「あぁ、耳を麻痺させて聞いてて、疲れがフッとやってきたのね」って話。実際うるさいところにいると疲れますw

 

ひそひそ話がよく聞こえてしまうのは、この逆で、瞳孔開くのと同様に耳のセンサーを敏感にして小さな声を聞き分けようとする。

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この能力はすごいものがある。地獄耳ではなくて、誰もが持ってるセンサー調整なんだよね。

 

渋谷のスクランブル交差点で子どもが「ママー!ママー!」と叫ぶと、子どもを捜しているママにはちゃんと聞こえるという類いの話。

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つまり、一定の周波数の声(自分の子どもの声あたり)を感知しようと耳が部分的に入力ゲインをあげている状態だ。

 

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 ※画像は周波数ごとに強弱をつけられるイコライザーの簡易版

 

鼻(嗅覚)も同じ。くさい場所にいると「鼻がバカになる」なんて言われるように、一時的に臭いに鈍感になる。逆にある一定の条件が揃うと鼻が敏感になる。嗅ぎ分ける能力もちゃんと備わってる。

 

実は私は住宅施工の会社に勤めているサラリーマンだけど、職人さんの使う作業車に乗ることがある。
その時の塗料(アルコール系)の臭いはひどい。そんな時に車の窓を開けてタバコを吸う。すると、タバコの臭いが直接鼻に入ってきて、鼻はすぐにバカになる。
結果、アルコール臭は感じなくなり、不快な状態から開放される。なんてことは昭和じゃ当たり前だったんだよね。だから職人たちはみんなタバコを吸うってわけじゃないかもしれないけど、喫煙者率は高い。

 

おそらく炭鉱夫さんたちも、トンネルの奥に行くまでに鼻はバカなっただろうし、休憩となれば、煙たくてもタバコ吸ってたと思う。(タバコの香りの方がよっぽど臭くない)


まぁ今の禁煙ブームでは考えられないだろうし、いい悪いって話は別として。

 

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家、部屋の匂いってのも、自分ではわからなくなることがある。それは部屋のにおいのその部分だけ麻痺させているのかもしれない。

 

ペットを飼っている人が、そのペット臭に関しては鈍感になるってこともよくある話。

 

部屋の住人は、だからと言って、他の匂いがわからなくなってるわけじゃない。これも匂いのイコライザー機能?だろう。

 

 

味覚の話だと、最近の「激辛料理」。

実は辛さに関しては自分の体験エピソードがひとつある。

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20年ほど前になろうか。
横浜駅から車で5分ほどのこじゃれた焼肉屋に行った時のこと。

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ほどよく焼けた上質のハラミと「青唐辛子」を丸1個いっしょにサンチュで巻いて食べた。

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辛いとは聞いていたけど驚いた。水を飲んでも、サンチュを食べても口の中がとにかく辛かった。熱いというのが近い。


2,3分ほど経って、やっとおさまってきて、次にキムチを食べた。
そうしたら、キムチの辛さがまったく感じない。逆に甘さ(漬ける時にまぜこんだ砂糖など)がよーくわかって、これまた驚いた。

キムチにはすごくたくさん砂糖(ショ糖?)が使われているのがわかった。


味がわからなくなったという舌バカになったのではなく、辛さだけ感じない舌で焼肉を食べた。

 

そこはとてもいいお店でその後も数回訪れた。アレ以来、青唐辛子を丸で食べることはしなかったけどw


そんな機能も舌にはあるんだと驚いた経験だった。

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そう考えると、補聴器をつけると、さらに耳が遠くなると言うのもなんとなく納得できる。


音の入力ゲインがあがらないところで、補聴器をつけるわけだから、補聴器をはずせばもっと聞こえなくなるのは当たり前の機能。

それが慢性化したことに気づくと「前より聞こえなくなった」ということになる。

 

大きなステージでイヤモニつけてやってると耳が壊れちゃうミュージシャンも同じ理屈。 

 

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この舌にあるセンサーの入力ゲインを下げてる人は鈍感ってこと。
だから激辛食べても「こんなのちっとも辛くない」と言う。

 

いっしょに食事をしている人が激辛を食べながら、ちょっと自慢げに「なんだよ、全然辛くないじゃん」なんて言ってるのを聞くと(あー、この人舌を鈍くして食べてるんだなぁ)って。

 

うーん、なんだかなぁ~。。

 

最近、外食すると「うわー、、しょっぱくて食べられない!」と思う料理が多いんだけど濃い味好きな人は慢性麻痺状態になっているのか、その手のお店はけっこう繁盛店だったりする。

 

こんな塩加減をフツウに食べてたら、腎臓こわすんじゃないか?と他人様の身体ながら心配になるほど。

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※大好きなレバにら炒め。しょっぱくて食べられないお店もある。


私がとんこつラーメンを食べなくなったのは油臭さよりも、この「しょっぱさ」がダメになったから。

カップ麺もお湯の量の目安の線までしか入れないと、かなりしょっぱい。。


これじゃ一億総高血圧?一億総透析患者?になりかねない。。

 

慢性麻痺した「濃い味好き」の人が「薄味」の料理を食べると「なんだ?これ味が無い」となってしまう。これが一番困るというか、こわいところ。特に居酒屋などは飲み物をたくさん飲んで売り上げたいからしょっぱくするのが正解だと思っている。

 

市販の野菜そのものの味が、薄くなって(無くなって)きてもドレッシングやマヨネーズをやたらかけて食べているから、、わからないんだよね。

 

有機栽培の完熟トマトとか、とうもろこしなんて、何もつけなくてもおいしい。


安い外食で濃い味に慣れてしまってるなら、そういうもので舌をリセットしたほうがいいかな?と思う。

 

薄味は何度かトライすれば、間違いなく慣れる。素材の味を楽しむなら、濃く味付けされていない方がいい。もちろん体への負担も軽いはず。。

 

と、ここまで書いて。

 

待てよ?これは実は脳がいろいろ調整してるんでは?と仮定してみると。。


以前に「行間」について書いたけれど、実は文章について、もしくは会話に対しても同じなんじゃないか?と思う。

 

aonbo.hatenablog.com

 

 

つまり「はっきり言われないと意図がわからない」「想像力が働かない」のは読み取りセンサーが麻痺した状態なんじゃないか?と。

 

先日のNHKのドラマ「この声を君に」の一場面を思い出した。

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「空想しながら読む」という言葉に主人公が「できない」と言っていたのだが、子どものために本を読む時に空にくじらの雲が出てくる場面。

 

子どもといっしょにくじらの雲に乗って海や山に行く場面。よかったなー。

 

やればヒトの脳はちゃんと働いてくれる!

 

そう考えると若い人で、テレビやゲームばっかりやってる人でもチャップリンの映画を観ると読み取りセンサーが目覚めてちゃんと理解するようになる。

  

ただ、刺激の強いのを一旦求め始めると、その傾向はどんどん強くなる。

 

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当たり前の話。だって1の辛さで足りるのに3の刺激が入ってきたら
「お?ちょっと辛いね。でもおいしいね。うーんでも辛いなぁ・・」で終わる。

次は脳が覚えているから、食べる前に記憶からセンサーのデフォルト値を上げておく。

そうするといつのまにか3の刺激を1くらいに感じるように、入力センサーは麻痺。

 

結果5とか7の刺激がないと「お!」と思わなくなる。この「お!」が欲しい人はさらに強い刺激を求めていく。

 

だから辛さ10倍とか30倍とかの料理を注文する人は、刺激に対して麻痺してるだけの
味覚バカになってるって話。(そして体に悪い)

 

どこかでちゃんと1にリセットしておかないと体に悪いくらいの強い刺激がないと満足できない人になってしまう。(中毒性もあるかも)

 

で。

 

先日オザケンこと小沢健二がNHKの番組に出ていた。

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ずっと音楽活動をせずにメディアに出ずにいた彼に
「メディアから消えていた間はどんなことをしていたんですか?」

と言う質問をMCで取り上げてた。

 

彼いわく、SNSに乗せる写真は現実の3割増で見せてる。だから実物を見ると、ちょっとがっかりする。なんてことを言ってた。

 

さぁ話しましょう!と、本人が過去の話をすると、その話も3割増になってしまう。


それを聞く側は「話半分」で聞くものになる。

 

要するに、ここで話したところで、なんだか「いい話」を水増しして、語るミュージシャンになっちゃって、そういうのは柄じゃないってことなんでしょう。


テレ屋で、ちょっと斜めから見る彼らしい日常の切り取り方だなぁ・・って思った。
ちょっとしゃれてるし。(彼はいつもちょっとしゃれてる)

 

彼の歌も朗読した詩も、刺激は少ないけれど中身がある。

 

英語をしゃべるには「間違える力」が必要なんです!

なんてとってもよかった。

 

言うなれば、美味しいだしの利いた上品な薄味の料理を食べたようだった。

 

うん。以前よりよくなった。

 

 

※すっごく高そうなボロボロの(ヘビーレリック仕様かヴィンテージもの)ストラト弾いてたなぁ。。

 

○か×か?ゼロか100か?

わからないものはわからないまま置いておく力をなんて言うのかよくわからない。
格納力?保管力?保留容量?脳内収容の許容量?


うーん、でも○か×かで決めたがる今の風潮にあって、それはとても大事な力だと思う。

 

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「日本人はYES、NOがはっきりしない」と言われてきてウン十年。欧米人から見たらよくないことみたいだけど。欧米人にしたって「本音と建前」とか戦略上でYES(NO)と表示とか、「とりあえずハッキリ表明しとく」なんてことも多々あるでしょう。

 

優柔不断と思われるかもしれないけど。

 

もし何かの判断をする際に「いい部分と悪い部分」が同居しているなら、結論を急ぐことはないと思ってる。

ロシア文学の古典に出てくる登場人物たちみたいに)

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「えーっと、YESと言って賛同したいところですが、部分的には否定していまして・・」


なんてことを言うと「ディベートができないとか」「言いたいことがわからない」なんて扱いを受けてしまう。

 

人から責められるのが嫌(言ったことに責任取りたくない)とか、言い訳をつけてとか、そういう部分は置いといて、100%賛成もしくは100%反対にならないことの方が多くないか?


「わからない」を「わからない」まま置いておく。 

 

レッテルを貼らないものフォルダー」にしまっておく。

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※そのままでいいのに。。

 

これ、格納力?保管力?色を決めないで保管する力?。。

うーん、、なんて言うんでしょうね。(どなたか語彙の無い私に教えて)

 

このフォルダーの容積がどんどん減ってきているような気がする。

 

たとえば、与党と野党。


今の企業、今の自治体、行政を動かす力が一番大きいのは間違いなく自民党でしょう。

だけど、だから自民の好きなようにやらせるのが一番いいか?となれば、これまた別の話。

 
自民党が政権を取って与党でいるのは○だけど、2/3以上の議席で独走体制は×と思うから別の党に投票する。


「は?意味わかんない。それ、時間がかかるばかりだよ」と言う人と
「確かに今は独走体制だからよくない」と言う人に分かれるんじゃないかな?

 

 

私のように考える人は、自民党派(党員ではなく投票する市民)からしたら×なんだろうねぇ。

 

 緑のたぬきがマスメディアを騒がせて、自民の議席減った分を補って、元々進めたい方向に船は進むのか。。船はまちがいなく軍艦ですけどw

 

政治家さんもいろんな意味で問われていますね。

 

長いものに巻かれていないと、自分の政治家生命が危ない(落ちたら、何もできない)という人もいるでしょう。で、どうするか?

 

いったん党に入ってトロイの木馬

この言葉、ちょっと前のPCウイルス以来だね。

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日本の政治で聞くのは初めてかもw 

 

受け入れる側の布石としては踏み絵だって。

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枝野さん大変だけどがんばってほしいわ。気概は感じます!

 

大企業のトップの富裕層から税金を取れば、消費税上げなくてもだいじょうぶと言って、(富裕層敵にまわして)過去に落ちた人も少なくないですからね。。

 

なんだかなぁ。。されとて日本が心配。

 

心配と言えば、もうひとつ心配なことがある。

 

特にデータ取ってるわけではないんですが、世代的に見て若い人ほど○か×で決めたがるような気がする。言い換えればゼロか100か?って。短絡と言うか、極端と言うか。考える時間を長く保てないと言うか。。

 

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 で、その中心の20代。けっこう現政権を支持してるんだよね。。

 

そりゃゼロ100で言ったら自民政権。それはわかる。じゃぁ100%自民党派で議席が埋まったほうがいいのか?話早いぜ?日本進むぜ?どうなん?と訊くと「???」

 

あははwまくしたてちゃいけないね。こっちの質問の方が極端だと責められそうだ。

 

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※18歳から選挙権があることは悪いことじゃないけど。。

 

今回は、よく考えているから△って人、多いんじゃないかな。

 

△さん、できれば、「わからないからどっかに片付ける」ってのはしないで。そのままがんばって!

 

わかる部分とわからない部分と区分けして「思考保留フォルダー(仮名称?)」に入れたまま、レッテルを貼らずに、事あるごとに考えてほしいと願う。

 

言うなれば、政治ってカテはもともと○か×にできないものなんだろうし。

 

最後に、わからないから、保留。

だから投票しないってのは無しで!

 

時間区切って、行動に移すのはけっして無責任なことじゃないと思うから。

 

おっと、、政治の話になるとついつい長くなってしまいます。

 

ゼロ100については、また改めて書きます。

 

※昭和なおやじのひとこと。

自分と違う意見を否定しないで聞くことはとても大事。

 

ゼロ100が熱を帯びて、敵・見方みたいな分け方だけはやめてほしい。 

 

 

 

テレビ番組の幼稚化。

昭和30年代。テレビの始まりの時代に「1億総白痴化」と言う言葉が流行りました。平成生まれでも知っている人が一定数はいると思います。

 

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ではだんだんと1億人が白痴になっていく過程で、テレビはどのように視聴者を獲得していったのでしょう?

 

以降は一市民として昭和30年代うまれのオヤジの勝手な考察(感想)ブログです。

 

テレビが始まったときから、(国営放送を除いた)民放局はすべて広告収入で成り立ってます。いわゆる各スポンサーが支払う広告費でまかなってきているわけです。その広告を見てもらうために【人気番組+印象に残るCM】を作って広告効果を出したいとがんばってきたのが民放テレビ局と大手広告代理店です。

 

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番組はいわゆるその【スポンサーのお金】で製作され、視聴者への【CMの効果】を得ることが目的。成果が上がればその後も継続して広告を出す。もしくは広告枠を増やす。これでテレビ局は潤うわけです。この仕組みは60年経っても基本的には変わりません。(番組製作会社とかCM製作を担う広告代理店など、細かな仕組みや分担は変わってきているかもしれませんが)

 

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最近では番組制作者はその作品をDVDにしたり、ネットで流す再放送などで二次的な権利収入も得ていますが、基本的な流れ(メインストリーム)は変わりません。

 

だから番組製作者は視聴率を上げたい。上げれば必然的に広告収入も広告主も増えるわけです。

※ちなみに視聴率の1%は100万人に換算され、20%となれば2000万人の目にふれたことになると言われています。(この数字の現在の真偽のほどはあやしいですがw)

 

1960年代のテレビ番組

60年代はまさにテレビ番組の黄金期の幕開け。

プロ野球、プロレス、ボクシングなどのスポーツ中継(相撲はNHK独占)

ドラマ、歌番組、バラエティ、ワイドショー、アニメ、怪獣もの・・・。

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街頭でテレビを見て、いつかは自分の家にも・・・と働いて・・昭和39年の東京オリンピックによって一家に一台テレビの時代がやってきました。

 

経済成長と相まってひろがったメディア端末。1年間で1600万台(白黒)売れたと言われています。昭和40年代になったころには少なくとも3000万は普及していたことでしょう。

当時の人口が1億で、家族の平均が4人だとしたら2500万台普及した時点で、ほぼ全部の家庭にテレビがあった計算になる。(各部屋に1台になるのは10年先かもしれないけれど)

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大手メーカー初め、いろんな会社がテレビに広告を出し、そして番組製作費も増え、電通を初めとした広告会社もうるおっていった時代。

 

 

視聴率を取るために

国民の所得が増えたことでとにかくテレビは1家にほぼ1台となった。

およそ3000万台~4000万台のテレビが日本中のお茶の間に向けて「広告」を映す時代がやってきた。


テレビ局には今でも「公共の電波」と言う大前提があり、その中で熾烈に広告合戦が繰り広げられて、視聴率を取るため(広告を見せるため)にさまざまな戦略(企画)がとられていった。

 

時間帯による視聴者の獲得を考えて、朝のニュース、午前中のバラエティ、お昼の娯楽情報番組、昼メロドラマ、午後のバラエティ、夕方のアニメ、夜の歌番組、プロ野球、 夜9時からのドラマ、洋画、夜遅めにニュース、深夜番組。。

日曜、祭日の番組、夏休みのこども向け、年末年始の特番。。

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 マーケティングの関係で、あらかじめ主な対象者が決められた中で、各放送局がこぞって番組を作り、視聴率をなんとか稼ごうとしていたわけですね。

 

年末の時代劇「忠臣蔵」が始まる時間には銭湯がガラガラになってしまうなんて社会現象もありました。

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「わかりやすくする」=視聴率UP


昭和のスポ根漫画のブログの時にも書いたけれど幼稚化、白痴化が進んでいくテレビっ子たちにわかりやすくするにはどうするか?それが視聴率と直結の課題だった。

①見やすいカメラワーク
「引き」で映す、「寄せ」で映すテクニックがさらに増す。

グルメ番組で、食べ物のアップ(物撮り)だけ別に撮って、編集で差し込む。カレーパンなんてわざわざ両手でゆっくりと二つに割って中身をアップとか。淡々と全体を映していたんでは何も伝わらない。ゴルフで第一打を打ったら、球をずっと追いかけて映す
などなど、昔はそこまで多岐にわたって使われてはいなかった。

だから、野球やサッカーなどスポーツ、コンサートなど「生で見るよりテレビ中継見たほうがいい」とテレビっ子たちは言うようになった。

さらに70年代の終わりに登場したガンダムのカット割りで入ってくる分割画面は活気的で臨場感にあふれていた。

 

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②字幕テロップ
第二次漫才ブーム(80年代)の火付け役は【新感覚のお笑い+字幕】だった。
爆発的人気だったB&Bはネタは面白いが、【体を使った表現プラス字幕】がなければあの早口のテンポで聞こえてくるセリフをテレビでどこまで理解できただろう?
日常で使い慣れない言葉が出ればすぐに注釈が大きく説明されるなんてこともこの時代から。これもチャップリンの「セリフを話すこと=映画の堕落」の延長上であると思うが、普通にセリフを話していても伝わりにくい幼稚な視聴者には”セリフの可視化”は効果的だった。

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③SE(音響のともなった演出)
巨人の星」のがーん!!である。これがともなってさらにわかりやすくなった。
悲しい場面では悲しい曲が流れ涙を誘う。ハリウッドでも映画のヒットの要因の40%は使う音楽(挿入歌、BGM等)によるなんて言われている。
実際ディズニーはミュージカル色が強いアニメということもあり、50年代から使われる音楽(歌)は常にヒットのための最重要項目である。

 

④予告・宣伝・メイキング
とにかく本編の放映が始まる前に説明、説明また説明である。新番組が始まる前にはその番組の紹介・解説の番組があり、そこで登場人物(出演者)の説明、ストーリーについての説明、人間関係の説明・・・。


そうしてわかりやすく伝えておいてから初めて本編が始まる。最近では連続ドラマの放送前に「前回のあらすじ」を放送したり、まるまるシリーズを再放送したり。番組の冒頭で解説者が説明したり。。

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テレビ局が製作に関わっている映画なんて映画のためのプロモーション番組が前回の映画のテレビ放映だったり、メイキング番組があったり。。
映画がヒットすれば続編。それが劇場公開される前にテレビで前作の放映。まぁひとつの番組でどれだけ放送枠を取ることやら。。チャンネル争奪戦も熾烈を極めている。

 

⑤ドラマの劇中で要点のまとめ
推理小説などによくある「それじゃぁ今までのことを整理してみよう」なんて劇中でホワイトボードを使って図にしていく。


探偵の助手が「よくわからない点があるのですが・・」みたいなセリフは実際は助手ではなく視聴者への説明だ。(わかっている視聴者には本当に退屈な時間w)

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劇中の説明、人物のその時の気持ちの説明、そういうのが功を奏して「わたおに」は大ヒット。つまり場面展開だけで持っていくと、視聴者が理解しにくいだろうと思われる点は徹底的に説明される。

 

⑥時間軸をいじらない
ドラマの中での回想シーンがあると、「わからない」「理解できない」「難解だ」などと言われるようになってしまった。
セピア色の画面で下に「事件の起こる3年前」などと言うテロップを出しても「混乱してしまった」なんて視聴者の声があがる。


映画ではかろうじて回想シーンはまだあるが、テレビドラマとりわけ、主婦向けのドラマでは殺人事件の最後の種明かしの場面くらいしか使われていない。

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シックス・センス」を見て『1回じゃ意味がわからなかった』と言う人も少なくない。「マルホランド・ドライブ」にいたっては難解だって言ってる人はさらに多い。まぁ大体が若い世代なんだけどね。。

 

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⑦テンポは速める
それでもテンポ(運び)が遅いと視聴者はチャンネルを変えてしまう。だからテンポ(場面展開)は速くして3分に1度は視聴者を驚かせる場面が来る。これも飽きさせないための工夫。音楽もそうだけど若い世代ほど早めのビートが好き。


実は大した内容でなくても、意味ありげに引きつける。これが後から「なーんだ、おおげさだな」と思われてもかまわない。(あとでちゃんと説明が入る。運びとしては、次から次へと何かが起こるけど、後から思えばたいしたことじゃない。単純に視聴者が知らない事実をもったいつけて解き明かしたり。)

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要するにCMを入れても、途中から見ても、チャンネルを変えられないようにすることがすべて。

 

かくして、大人たちは時代を追うごとに「全部説明してもらいながら楽しむ」ようになった。

 

まさに1億総白痴化の完成である。これが80年代の後期。つまり60年代から始まっておよそ30年。バブルの時代までに完成。

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90年代後期から平成になると、昭和で白痴化した人たちがフツウになり、さらに理解度の低い10代たちに説明するようになる。


サルでもわかる・・」の登場

サルでもわかる○○入門

初級よりわかりやすくしたのが初心者向けで、それよりもわかりやすくしたのが入門書。


この入門書でもわからない人向けに作られたものが「サルでもわかる・・」と名付けられた。


それが各専門書などでヒット。パソコン、デジカメなどを皮切りに、やさしい図解、ていねいな説明に大きな字。


「1から教えます」よりも「ゼロから教えます」としたものが売れるようになった。
つまり、ゼロから1までの努力すらしなくなった(できなくなった)ということ。

 

学校の教科書もどんどん文字が大きくなり、イラストが増え、昭和の時期のものと平成のものではずいぶんと内容に差がある。内容(本)が薄くなっているのがハッキリとわかる。

 

結果、学校で教科書の内容を易しくすると、全体のレベルが落ちるという、何とも情け無い結果が出ている。

 

 

テレビはいつも視聴者の中間層に合わせて番組を作るから、いつも偏差値50(平均点レベル)のみんながわかりやすいように作るから照準は偏差値45くらいに合わせていく。


これが10年20年と経つうちに番組はいちいち説明だらけ、図解だらけ、テロップだらけ、再現フィルムだらけとなってしまった。

 

結局、初心者向けでもわからない⇒入門者向けでもわからない⇒サルでもわかるシリーズとなったわけですね。。

もちろん、こんな風潮に合わせてばかりでは、本当につまらない番組だらけになってしまう!と、それを逆手にとった番組もいくつか出てくる。

昭和の時代から、ずっとある「クイズ番組」ではクイズの達人を集めて優秀な回答者を見せる番組もあった。しかしながら、単純に”すごい人”ばかりになると視聴者にどう”すごい”のか伝わらないので「ふつうのおばかさん」もまぜておく。もしくは「おバカきゃら」という頭がまともなタレントさんに演技させることもあります。

こんな稚拙な演出でもお茶の間は喜ぶわけですね。

 

「もっとバカに照準を合わせろ!」

言葉は悪いですが、これが視聴率をずっと取り続けるための必須でした。

理由は簡単。仮に20代~30代の偏差値60くらいの人を対象に番組を作るのと、同世代の偏差値45くらい向けに作るのとどっちが視聴者の実人数が多いか?ということです。

 

後者には40代~50代の主婦もいます。10代の偏差値55くらいの子もいます。ですが、偏差値60となると世の中の3割もいないんじゃないでしょうか?

そして、そのレベルが毎年少しずつ下がっているのだとしたら、10年経ったら、当時の偏差値40くらいを相手にしないと視聴者が「わかりにくい」と言い出すわけです。

だからお利口さん向けの番組は減り、おばかさん向けの番組は増えました。

考えないで、与えられた情報を鵜呑みにする人がどんどん増えました。

 

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それは30年かけた広告戦略であり、アメリカナイズの達成でもありました。

だから短絡的で、意図を汲めない人がマジョリティとなったのです。

 

楽しいこと=楽なこと

楽しいこと=楽なことになり、努力しないことになり、それは自分で何かを考えないことになり、そして、無用のものとなりました。

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第一楽章からはじまってひとつのテーマをいろんな楽器が変奏し、15分後に大きなテーマが登場したときに大きな喜び、涙を流して感動する曲なんて時代遅れになりました。

 

いつもいつも企業が用意してくれた「小さな楽しさ」を連続して1番組。

それに飽きたらまた、別のものを買えばいい時代がきました。

 

例をあげると今のゲームもしかり。飽きてくれないと消費がつながらないのです。最初はつまらない(よくわからない)けど、最後に感動するなんて面倒くさいことはやりたくない人たちの完成です。

 

楽なひまつぶしが大好きで、本当に楽しいことは、途中まで大変だからやらない1億総白痴化完成です。

 

あとは0.1%の富裕層がずっと富裕層でいられるように企業に投資し、企業は99.9%の市民が「深く考えずに消費するもの」を用意するだけとなった。

 

 

これが世の中というか、市民の間ではどういうことになったか?

 

相手の側からイメージできない人が増えた。

 

要するに想像力、洞察力が落ちた。とでも言おうか。

 

もちろん説明すればわかる。しかし説明が無ければわからない(考えない)人が増えた。

 

「気もちを汲まない」

「意図がわからない」

 さらに言うと

「相手のことなんて考えなくていい」

「相手のことまで考えてたら、何もできない」

なんて言葉が聞こえてくるようになった。

 

相手の国のことなんて考えてたら、儲からない。。

なんてことを考える商売人が大統領になる時代だ。

くわばらくわばら。