昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

テレビ番組の幼稚化。

昭和30年代。テレビの始まりの時代に「1億総白痴化」と言う言葉が流行りました。平成生まれでも知っている人が一定数はいると思います。

 

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ではだんだんと1億人が白痴になっていく過程で、テレビはどのように視聴者を獲得していったのでしょう?

 

以降は一市民として昭和30年代うまれのオヤジの勝手な考察(感想)ブログです。

 

テレビが始まったときから、(国営放送を除いた)民放局はすべて広告収入で成り立ってます。いわゆる各スポンサーが支払う広告費でまかなってきているわけです。その広告を見てもらうために【人気番組+印象に残るCM】を作って広告効果を出したいとがんばってきたのが民放テレビ局と大手広告代理店です。

 

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番組はいわゆるその【スポンサーのお金】で製作され、視聴者への【CMの効果】を得ることが目的。成果が上がればその後も継続して広告を出す。もしくは広告枠を増やす。これでテレビ局は潤うわけです。この仕組みは60年経っても基本的には変わりません。(番組製作会社とかCM製作を担う広告代理店など、細かな仕組みや分担は変わってきているかもしれませんが)

 

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最近では番組制作者はその作品をDVDにしたり、ネットで流す再放送などで二次的な権利収入も得ていますが、基本的な流れ(メインストリーム)は変わりません。

 

だから番組製作者は視聴率を上げたい。上げれば必然的に広告収入も広告主も増えるわけです。

※ちなみに視聴率の1%は100万人に換算され、20%となれば2000万人の目にふれたことになると言われています。(この数字の現在の真偽のほどはあやしいですがw)

 

1960年代のテレビ番組

60年代はまさにテレビ番組の黄金期の幕開け。

プロ野球、プロレス、ボクシングなどのスポーツ中継(相撲はNHK独占)

ドラマ、歌番組、バラエティ、ワイドショー、アニメ、怪獣もの・・・。

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街頭でテレビを見て、いつかは自分の家にも・・・と働いて・・昭和39年の東京オリンピックによって一家に一台テレビの時代がやってきました。

 

経済成長と相まってひろがったメディア端末。1年間で1600万台(白黒)売れたと言われています。昭和40年代になったころには少なくとも3000万は普及していたことでしょう。

当時の人口が1億で、家族の平均が4人だとしたら2500万台普及した時点で、ほぼ全部の家庭にテレビがあった計算になる。(各部屋に1台になるのは10年先かもしれないけれど)

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大手メーカー初め、いろんな会社がテレビに広告を出し、そして番組製作費も増え、電通を初めとした広告会社もうるおっていった時代。

 

 

視聴率を取るために

国民の所得が増えたことでとにかくテレビは1家にほぼ1台となった。

およそ3000万台~4000万台のテレビが日本中のお茶の間に向けて「広告」を映す時代がやってきた。


テレビ局には今でも「公共の電波」と言う大前提があり、その中で熾烈に広告合戦が繰り広げられて、視聴率を取るため(広告を見せるため)にさまざまな戦略(企画)がとられていった。

 

時間帯による視聴者の獲得を考えて、朝のニュース、午前中のバラエティ、お昼の娯楽情報番組、昼メロドラマ、午後のバラエティ、夕方のアニメ、夜の歌番組、プロ野球、 夜9時からのドラマ、洋画、夜遅めにニュース、深夜番組。。

日曜、祭日の番組、夏休みのこども向け、年末年始の特番。。

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 マーケティングの関係で、あらかじめ主な対象者が決められた中で、各放送局がこぞって番組を作り、視聴率をなんとか稼ごうとしていたわけですね。

 

年末の時代劇「忠臣蔵」が始まる時間には銭湯がガラガラになってしまうなんて社会現象もありました。

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「わかりやすくする」=視聴率UP


昭和のスポ根漫画のブログの時にも書いたけれど幼稚化、白痴化が進んでいくテレビっ子たちにわかりやすくするにはどうするか?それが視聴率と直結の課題だった。

①見やすいカメラワーク
「引き」で映す、「寄せ」で映すテクニックがさらに増す。

グルメ番組で、食べ物のアップ(物撮り)だけ別に撮って、編集で差し込む。カレーパンなんてわざわざ両手でゆっくりと二つに割って中身をアップとか。淡々と全体を映していたんでは何も伝わらない。ゴルフで第一打を打ったら、球をずっと追いかけて映す
などなど、昔はそこまで多岐にわたって使われてはいなかった。

だから、野球やサッカーなどスポーツ、コンサートなど「生で見るよりテレビ中継見たほうがいい」とテレビっ子たちは言うようになった。

さらに70年代の終わりに登場したガンダムのカット割りで入ってくる分割画面は活気的で臨場感にあふれていた。

 

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②字幕テロップ
第二次漫才ブーム(80年代)の火付け役は【新感覚のお笑い+字幕】だった。
爆発的人気だったB&Bはネタは面白いが、【体を使った表現プラス字幕】がなければあの早口のテンポで聞こえてくるセリフをテレビでどこまで理解できただろう?
日常で使い慣れない言葉が出ればすぐに注釈が大きく説明されるなんてこともこの時代から。これもチャップリンの「セリフを話すこと=映画の堕落」の延長上であると思うが、普通にセリフを話していても伝わりにくい幼稚な視聴者には”セリフの可視化”は効果的だった。

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③SE(音響のともなった演出)
巨人の星」のがーん!!である。これがともなってさらにわかりやすくなった。
悲しい場面では悲しい曲が流れ涙を誘う。ハリウッドでも映画のヒットの要因の40%は使う音楽(挿入歌、BGM等)によるなんて言われている。
実際ディズニーはミュージカル色が強いアニメということもあり、50年代から使われる音楽(歌)は常にヒットのための最重要項目である。

 

④予告・宣伝・メイキング
とにかく本編の放映が始まる前に説明、説明また説明である。新番組が始まる前にはその番組の紹介・解説の番組があり、そこで登場人物(出演者)の説明、ストーリーについての説明、人間関係の説明・・・。


そうしてわかりやすく伝えておいてから初めて本編が始まる。最近では連続ドラマの放送前に「前回のあらすじ」を放送したり、まるまるシリーズを再放送したり。番組の冒頭で解説者が説明したり。。

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テレビ局が製作に関わっている映画なんて映画のためのプロモーション番組が前回の映画のテレビ放映だったり、メイキング番組があったり。。
映画がヒットすれば続編。それが劇場公開される前にテレビで前作の放映。まぁひとつの番組でどれだけ放送枠を取ることやら。。チャンネル争奪戦も熾烈を極めている。

 

⑤ドラマの劇中で要点のまとめ
推理小説などによくある「それじゃぁ今までのことを整理してみよう」なんて劇中でホワイトボードを使って図にしていく。


探偵の助手が「よくわからない点があるのですが・・」みたいなセリフは実際は助手ではなく視聴者への説明だ。(わかっている視聴者には本当に退屈な時間w)

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劇中の説明、人物のその時の気持ちの説明、そういうのが功を奏して「わたおに」は大ヒット。つまり場面展開だけで持っていくと、視聴者が理解しにくいだろうと思われる点は徹底的に説明される。

 

⑥時間軸をいじらない
ドラマの中での回想シーンがあると、「わからない」「理解できない」「難解だ」などと言われるようになってしまった。
セピア色の画面で下に「事件の起こる3年前」などと言うテロップを出しても「混乱してしまった」なんて視聴者の声があがる。


映画ではかろうじて回想シーンはまだあるが、テレビドラマとりわけ、主婦向けのドラマでは殺人事件の最後の種明かしの場面くらいしか使われていない。

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シックス・センス」を見て『1回じゃ意味がわからなかった』と言う人も少なくない。「マルホランド・ドライブ」にいたっては難解だって言ってる人はさらに多い。まぁ大体が若い世代なんだけどね。。

 

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⑦テンポは速める
それでもテンポ(運び)が遅いと視聴者はチャンネルを変えてしまう。だからテンポ(場面展開)は速くして3分に1度は視聴者を驚かせる場面が来る。これも飽きさせないための工夫。音楽もそうだけど若い世代ほど早めのビートが好き。


実は大した内容でなくても、意味ありげに引きつける。これが後から「なーんだ、おおげさだな」と思われてもかまわない。(あとでちゃんと説明が入る。運びとしては、次から次へと何かが起こるけど、後から思えばたいしたことじゃない。単純に視聴者が知らない事実をもったいつけて解き明かしたり。)

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要するにCMを入れても、途中から見ても、チャンネルを変えられないようにすることがすべて。

 

かくして、大人たちは時代を追うごとに「全部説明してもらいながら楽しむ」ようになった。

 

まさに1億総白痴化の完成である。これが80年代の後期。つまり60年代から始まっておよそ30年。バブルの時代までに完成。

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90年代後期から平成になると、昭和で白痴化した人たちがフツウになり、さらに理解度の低い10代たちに説明するようになる。


サルでもわかる・・」の登場

サルでもわかる○○入門

初級よりわかりやすくしたのが初心者向けで、それよりもわかりやすくしたのが入門書。


この入門書でもわからない人向けに作られたものが「サルでもわかる・・」と名付けられた。


それが各専門書などでヒット。パソコン、デジカメなどを皮切りに、やさしい図解、ていねいな説明に大きな字。


「1から教えます」よりも「ゼロから教えます」としたものが売れるようになった。
つまり、ゼロから1までの努力すらしなくなった(できなくなった)ということ。

 

学校の教科書もどんどん文字が大きくなり、イラストが増え、昭和の時期のものと平成のものではずいぶんと内容に差がある。内容(本)が薄くなっているのがハッキリとわかる。

 

結果、学校で教科書の内容を易しくすると、全体のレベルが落ちるという、何とも情け無い結果が出ている。

 

 

テレビはいつも視聴者の中間層に合わせて番組を作るから、いつも偏差値50(平均点レベル)のみんながわかりやすいように作るから照準は偏差値45くらいに合わせていく。


これが10年20年と経つうちに番組はいちいち説明だらけ、図解だらけ、テロップだらけ、再現フィルムだらけとなってしまった。

 

結局、初心者向けでもわからない⇒入門者向けでもわからない⇒サルでもわかるシリーズとなったわけですね。。

もちろん、こんな風潮に合わせてばかりでは、本当につまらない番組だらけになってしまう!と、それを逆手にとった番組もいくつか出てくる。

昭和の時代から、ずっとある「クイズ番組」ではクイズの達人を集めて優秀な回答者を見せる番組もあった。しかしながら、単純に”すごい人”ばかりになると視聴者にどう”すごい”のか伝わらないので「ふつうのおばかさん」もまぜておく。もしくは「おバカきゃら」という頭がまともなタレントさんに演技させることもあります。

こんな稚拙な演出でもお茶の間は喜ぶわけですね。

 

「もっとバカに照準を合わせろ!」

言葉は悪いですが、これが視聴率をずっと取り続けるための必須でした。

理由は簡単。仮に20代~30代の偏差値60くらいの人を対象に番組を作るのと、同世代の偏差値45くらい向けに作るのとどっちが視聴者の実人数が多いか?ということです。

 

後者には40代~50代の主婦もいます。10代の偏差値55くらいの子もいます。ですが、偏差値60となると世の中の3割もいないんじゃないでしょうか?

そして、そのレベルが毎年少しずつ下がっているのだとしたら、10年経ったら、当時の偏差値40くらいを相手にしないと視聴者が「わかりにくい」と言い出すわけです。

だからお利口さん向けの番組は減り、おばかさん向けの番組は増えました。

考えないで、与えられた情報を鵜呑みにする人がどんどん増えました。

 

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それは30年かけた広告戦略であり、アメリカナイズの達成でもありました。

だから短絡的で、意図を汲めない人がマジョリティとなったのです。

 

楽しいこと=楽なこと

楽しいこと=楽なことになり、努力しないことになり、それは自分で何かを考えないことになり、そして、無用のものとなりました。

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第一楽章からはじまってひとつのテーマをいろんな楽器が変奏し、15分後に大きなテーマが登場したときに大きな喜び、涙を流して感動する曲なんて時代遅れになりました。

 

いつもいつも企業が用意してくれた「小さな楽しさ」を連続して1番組。

それに飽きたらまた、別のものを買えばいい時代がきました。

 

例をあげると今のゲームもしかり。飽きてくれないと消費がつながらないのです。最初はつまらない(よくわからない)けど、最後に感動するなんて面倒くさいことはやりたくない人たちの完成です。

 

楽なひまつぶしが大好きで、本当に楽しいことは、途中まで大変だからやらない1億総白痴化完成です。

 

あとは0.1%の富裕層がずっと富裕層でいられるように企業に投資し、企業は99.9%の市民が「深く考えずに消費するもの」を用意するだけとなった。

 

 

これが世の中というか、市民の間ではどういうことになったか?

 

相手の側からイメージできない人が増えた。

 

要するに想像力、洞察力が落ちた。とでも言おうか。

 

もちろん説明すればわかる。しかし説明が無ければわからない(考えない)人が増えた。

 

「気もちを汲まない」

「意図がわからない」

 さらに言うと

「相手のことなんて考えなくていい」

「相手のことまで考えてたら、何もできない」

なんて言葉が聞こえてくるようになった。

 

相手の国のことなんて考えてたら、儲からない。。

なんてことを考える商売人が大統領になる時代だ。

くわばらくわばら。

 

依存症について

世の中にはいろんな依存症がある。


お酒、ギャンブル、ゲーム、買い物、ドラッグ(合法違法問わず)、性行為・・。


一見依存症とは思えないものもあるけれど、私の個人的な解釈としては本の虫なんてのも依存症だし、釣りキチなんて言葉は依存症に他ならない(苦笑)


またジョギング、健康法、ダイエットで失敗ばかりしている人もそうかもしれない。

 

人は【何か】から逃避するために「別の何か」をする。
この初めにくる【何か】とは何か?


平たく言うなら【何か】=【社会生活or社会の中で生計を立てていくこと】だと思う。

「生活するための労力」「生きていくこと」とでも言おうか。

 

現実的にこの社会生活を営むことから逃避することは多くの人は出来ない。
もちろん私も出来ない。それでも一時的に忘れることはできる。
それが依存症の元にある【世の中にいることからの逃避願望】なんだと思う。

 

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酒とバラの日々

 

以前に、アルコール依存症について書かれた本を数冊読んだことがある。


共通して書かれていたのは【禁酒、断酒に成功した人は「何か別の趣味・楽しみ」を見つけた人】がほとんどとの事。

 

「禁酒の会」のようなサークル団体に参加すると、まずは自分の「失敗談」をみんなに話して、それから「禁酒宣言」をして、その後に勧められるのは「別の趣味を持つ」こと。できればその趣味仲間を作ること。これがうまくいくと禁酒も続くらしい。


つまり、別の楽しさによって【何か】から逃避できた人が禁酒に成功しているという話。これはすべての依存症において当てはまるんだと思う。

 

で。依存症を二つに分けてみる。

 

依存症のもっとも怖いところは「度が増していくこと」である。度を増していった先にひどいことが待っている。

※ひどいケース
①健康をいちじるしく害する(死をもたらす)
②周りに迷惑をかける(暴力をふるったり、借金を作ったり、大きな失敗をするなど)


この二つの要素のひとつでもあるのならそれは「悪い依存症」そうでなければ「良い趣味」となる。

 

となれば先に書いたもので言うと
「お酒」「ギャンブル」は間違いなく悪い依存症の2トップになる

(ドラッグやシンナーなど違法なものは明らかに論外)

 

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※射幸性の高い機種は規制されたものの。。

 

「ゲーム」「買い物」「セックス」あたりだと、程度によっては依存症ではなく趣味の範疇でいいのかもしれない。まぁ度が進まなければ・・という話はつきものだが。。

 

だけど、この3つは大きな弊害をともなう。【幸せに向かわない浪費】という大きな弊害。だから傍で冷静に見ている人から「いいかげんやめなさい」と言われる。

(言われる人は幸せな人だけど)


人生は長いようで短い。

 

「セックス」に関してはお互いの気持ちが通っている大好きな相手とするならけっして時間の浪費なんて言わないだろうし、結婚とか子作りとかと別に考えても、すばらしいこと。


が、主たる目的がセックスによる「快楽」となると、いつか大きな事故となって、結果として②の要素が出てくるので注意した方がいい、、くらいしか言えない(笑)

 

依存症の人の典型的なセリフとして

「誰に迷惑かけてるわけじゃない」ってのがある。

これが出てきたらまず重症。(100%依存症)

多くは「結果として周りに迷惑をかける」ことになるか、本人の破滅が待っているように思う。

 

■生理学的に。
趣味とは言え、ひとつのことに没頭していると生理学的に脳内モルヒネが出る。

アノ感覚を一度知ってしまうとなかなかやめられない。それがまさか【幸せに向かわない浪費】だと気づいていてもやめられない。

 

はじめに書いた例で言うなら。

 

■「本の虫」(活字中毒)の場合は、何か読まないとイライラしてしまうほど、、だとしても「良い趣味」の範疇に入ると思われます。


■「ジョギング」は自己流で続けていくと健康を害すことが高確率であるらしいので、気軽に1人でできる運動なら「サイクリング」「ウォーキング」「スイミング」あたりに変えたほうがいいのかなと。自分の周りの人を見ていて思います。


■「釣り」も(ハマちゃんみたいに)仕事をほったらかして、家庭をかえりみずに行くとなると「良い趣味」ではないかもしれないが、それほど度が進む人は稀なので特段「悪い依存症」ではないと思う。


■「ダイエット」を次から次へと試しては失敗してしまう人も、まずはダイエットから離れて、まったく別の【良い趣味】を始めたらいいかなと思う。

結果として大したガマンもなく健康的に痩せることは多々ある。


※肥満(メタボ)とダイエットをやってはリバウンドしている人とはちょっと違う。

 

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インスタなどのSNS「食べ物の写真の投稿」がどのくらいあるか?を数えればその人の肥満度もだいたいわかってしまう。一週間に5枚以上自分が食べ物(料理)の写真を投稿しているなら、大抵の場合投稿者はメタボ系。。

 (ヘルシーなお弁当を毎日アップしている人は別かなぁ・・キャラ弁は趣味悪いと思うけど)

 

なぜなら、粗食、健康的な食事の写真は見栄えが悪い。それを投稿したところで反響も少ない

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 ※粗食をアップするのはなんともわびしい(病院食みたいで)

 

だからアップされてる写真の多くは豪勢な肉とか、寿司、中華、スイーツ、名物ラーメンなど。もしくは料理の量や種類がやたら多い食べる系のオフ会などインスタ映えする食事(料理)の写真を頻繁に載せる。

まぁ大概カロリーオーバーしちゃいました写真なんですね(^_^)a

 

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流行のダイエットを試しても生活習慣を変えないと、やっぱり健康的に痩せられないし、すぐにリバウンドが来る。

逆に良い生活習慣を身に付ければ、それほど痩せなくても、健康な身体になっていくと思う。

 

実は、食への依存もけっこうこわい。

 

※ちなみに常に食べすぎている大食いの人も、脳内モルヒネが出ているので広い意味では「食への依存症」ということになる。

 

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と、いろいろな依存について書いたけれど。。

 

いずれにしても「はまっている趣味」に周りが歯止めをかけることはできない。


もしアドバイスを求められたら「頂までやりきって飽きてしまう」ことが脱却の近道だと伝えるくらいしかない。(もちろん健康を害するものはだめだけど)


それができないなら、別の趣味に誘って「誰かと一緒に楽しむこと」を体験させていくしかないと思っている。

 

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ここからは、少し違う角度から。


先に「本」は良い趣味と書いた。

では「マンガ」「アニメ」「映画」はどうか?

 

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実は「依存症」になる大きな要素のひとつに「大変な思いをして得られる逃避(カタルシス)」がある。


マンガ、アニメ、映画に時間を費やすことは「さして大変な思い」がない。
つまり「つらい作業」が無い。だから多くの場合、依存の対象にならない。
(というのも自論だけど)

※ゲームはそこそこ大変な思いをするから中毒性があると思う。

 

「買い物」にしても、大切なお金を使ってしまうという行為自体に「あー気持ちいい」というカタルシス(快感)があるから依存症になっていく。

だから生活に苦しいのに買い物依存になる。これは月収とかとあまり関係ない。欲しいものが気楽に買えない人が買い物依存になるということ。クレジットカード地獄なんて言葉もあるし。


お酒にしても、元々お酒に弱い人がアルコール依存になりやすい。

 

このあたりで「依存」の正体が見えてきた人もいることでしょう。

 

「大変な作業(肉体的、精神的を問わず)を続けていくうちに、その非日常体験によるカタルシス」が現実逃避させてくれる。


それが「もっともっと」と強い欲求(刺激)を欲することになる。前よりも強い刺激がくればまたまた脳内モルヒネが出て「ふわー、、気持ちいい」となる。

 

(同じ度合いを続けていると、脳内モルヒネが出てこなくなる。なぜなら、さしてつらく無くなってるから。)


この「大変な思い→楽しい→カタルシス→脳内モルヒネによる麻痺」が中毒性を持つ。

 

だからやめられない。

 

アルコール依存症は吐いて吐いて強くなった人】
【ギャンブルはお金に困っているのに大負けした人】
セックス依存症は恋愛がうまくいかなくてさびしくてどうにもならなかった人】

 

そういう【人】に蛇はリンゴを差し出します。

 

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お酒の席でリラックスしてとても楽しかった時間。
ギャンブルで大儲け。
ひとときの甘い夜の誘い。

 

このリンゴを食べた時に脳内モルヒネが放出されるわけですね。


そして、その快楽の記憶だけが残っていて、以降また満たされない時間(社会生活)が来る。

 

※「ウコンを飲んで宴会に出れば翌日が楽なんだ」と言う人。深酒しないようにすることを考えられないのかな?と思う。どこかで歯止めを利かせないと、気がつくとアルコール依存症になってしまうから注意です。

 

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私の場合、45までのいろんな【悪い依存症】から、ギターと歌という【趣味】に変わったことで、生活が180度変わった。


いや、少なくとも趣味の無い人よりは、豊かになったと思っている。


この数年は仲間とも妻とも楽しい音楽を共有できている。これまた楽しい。


スポーツと違って年をとっても長く続けられるし。ギター弾いて歌っていると若さも保てるらしいし。

 

できれば誰もが「悪い依存症」から「良い趣味」に移行して楽しく健康的な時間をたくさん過ごしてほしいと願うばかりです。


大事なことは、大元になっている「生活のがまん」を減らすこと。これがとても難しい。そして、それは決してゼロにはならない。でも二アリーゼロの体験(生活)を誰もが経験しています。

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それは「胎児」のとき。
この時だけは社会生活によるストレスは無い。


そして、ヘソの緒が切られた時からストレスは始まります。
つまり、人は産まれる前にがまんの無い時間を実体験として知っていたのです。
だから余計につらいのかもしれません。

 

そして、そのストレスから脱却するためには別の「良い趣味」を持つのが一番というのが私の自論です。

 

釣りでも山登りでもサーフィンでも何でもいい。

ただ、できれば「1人でも楽しめて、仲間と共有することもできる」もの。

そして年を取っても長く続けられるもの。

 

「なんか面白いことないかなぁ・・」って言ってる自分がいたら、誰かが用意した「これ面白いですよ」にお金と時間を使うんじゃなくて、自分で何か行動を起こすのがいいかと思うわけです。

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30代までならスポーツやレジャーもいいけど、40過ぎたら音楽(アート:造作)や創作に関するものがいいと思うんですけど。。

 

川柳でもイラストでも歌でも陶器でもドライフラワーでも洋裁でも。。

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創ったものが、人に自慢できるほどじゃなくてもいいと思うんですよね。

 

なぜなら、創作には年齢制限も、終わりもないから。

 

(おわり)

 

行間。

以前に「行間を読むこと」について書いたことがある。

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今の30代くらいより年下の世代だろうか?
デジタルな世代とかいろいろと言われているが、単純な言い方だと

"書かれていない部分”を読み取る力がない。

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それはマンガやドラマの表現の変化を見ればわかるけれど。。今のは、何かにつけて分かりやすく作られている。

 

結果として

「表示されていない情報はわからない」
がいつのまにか
「表示されていない情報は推察しても仕方ない」
さらに進んで
「表面に出ていない情報は無いものとする」

 
「そんな情報どこにも書かれてないんだから、無いですよ」になってしまう。 

これは、若い人たちの判別能力が低いのではなく、そういう判断をするものとして脳が学習してきただけかと思う。癖とでも言おうか。

 

だから「表面から得られる情報から、その奥を推察してみてください」とか
いちど深読みしてみてください」と言えば、なんてことはない。じゅうぶんに理解できるのである。

(ここを私たち(年配者)が能力が低いとするのは大きな間違いだと思う。。)

 

若い世代でも、チャップリンを10分も見ればファンになる子もいるし、海外ドラマの心理描写の場面で手に汗にぎることもある。

 

ただ、ふだん「テレビから流れてくる情報」からは、その表層だけで判断を下すという、ある意味、変な学習機能が働いてしまっているんだと思う。

 

以前昭和40年代あたりの少年マンガでは、野球帽を深くかぶり直して、くるりと背中を向ければそれは涙を隠している姿であり、別の1コマに「右手こぶしに汗」のアップがあればグッと力をこめていると読者はわかった。

 

けれども、巨人の星が登場したあたりから変わった。

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伴宙太が「飛雄馬の特訓だの苦労だの」について説明して、「星よーおまえってヤツはぁ~!」と涙を流している様を見て、初めて読者に飛雄馬の気持ちが伝わるという、脇役が説明するスタイルになってしまった。


すると、伴が何も言わないときの飛雄馬は何もしてない=普通の練習だけ=魔球開発も特訓もしてなかった選手になってしまう。

 

この「ごていねいな説明」が始まったことで、読者は「説明されなければ推察しない」のが当たり前になってしまった。渡鬼なんていちいち説明ばっかでセリフが気持ち悪いw

 

政治家が諸外国へ行ったニュースが流れれば「仕事している=がんばってる人」になり、国会で発言している様がテレビに流れない政治家は「仕事していない=仕事してない人」となる。

 

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つまりメディアに流れるかどうか?が非常に大事なわけで。

特に深読みせずに、そのまま露出された部分で評価をする。

 

これが「ほかではどういう活動しているのかわからない」という疑問のままに置いておくことはできない。(レッテル貼って終わらせる癖とでも言おうか。。)


極端な話「天皇は何をしてるのかわからない人」ではなく「式典で手を振ってるか、慰問以外は何もしてない人」になってしまう。

いや、こんな失礼な話、おそらく50代以上の世代には考えられないかもしれないけれど、事実そういう見方をしている若い世代の人たちは少なくない。

 

現政権について一定以上の評価をしている人は20代が多いというのも、そのあたりに起因するのかな?と思う。


うーん。。

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少し前にとても強い将棋指しの中学生は出てきたけど、、今の将棋人口少ないのがよくわかる気がする。。