昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

小1「朝顔が死んじゃう」

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新入学おめでとうの季節ですね。

自分が小学校に入学したのは50年前です。

 

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小学校1年生。まだランドセルが新しい。
昭和40年代の横浜市神奈川区

どこの庭にも道端にも夏を待っていたかのように朝顔が咲き乱れていた。

『みなさーん!明日は朝顔の花を一人3つずつ持ってきてくださぁい。青いのでも赤いのでもいいですからね!!』

当日の朝になってもその話を母にできずにウジウジしてる子供。
母「どうしたの?」
子「学校に朝顔の花を持ってきなさいって先生に言われた・・」
母「そういうことなんで早く言わないの?!遅刻しちゃうじゃない!」
プツプツッ・・さささっと庭に咲いている朝顔の花を摘む母。
泣き出す子供。

子「みんな死んじゃうよ・・。どうして花を摘むの?・・」
母「あんたが学校で使うんでしょ?」
子「こんなにきれいに咲いてるのに・・なんで?・・ヒックッ・・」
もう声にならずに泣きじゃくってる・・。

ビニールに入れられた朝顔の花5つほどを手に持ってしゃっくりが止まらない。そのまま立ってると
母「早く行かないと遅刻するわよ!ほら!早くっ!」
背中を押されて歩き出す。。

朝顔の花をすりつぶして出る、色のついた汁でお絵かきをするという図画工作だった。

涙をこらえて朝顔の花をすりつぶし、出来た色水で絵などとうてい描けない。
赤と青を混ぜたら赤紫のようなきれいな色になった。結局絵は描けなかった。いろいろ混ぜてただけで授業は終わった。

あのころからだ。『早くしなさい』がきらいになったのは。。
日本が急いでいた時代。
お父さんたちがお父さんだった時代。
働いているお母さんたちはいつも何かに追われているようだった。

若かった母が朝顔を摘んでる光景は今でも鮮やかに残っている。

泣き虫弱虫だった青ン坊6才の夏。

 

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これも2006年ころに某サイトにアップしたものを再喝。