昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

ニーチェさん。楽しいことの話ですよね?【自分のギター史③】

ニーチェさんの言葉によれば、
人の成長(道?)は【らくだ→ライオン→子ども】となると言う。
自分はアマチュアなれど、ギターと関わってきて、実際にそんな変化を実感したので、この話を書いている。こちらのブログの前は以下のリンクから。

 

①ラクダ編

 

aonbo.hatenablog.com

 

②ライオン編はこちらから。

 

aonbo.hatenablog.com

 

社会に出るとアマチュアの学生バンドは数年かけて自然消滅した。 

社会に出て働くようになって。それでもたまに昔のバンド仲間に声をかけることはあった。

『またスタジオで音出さない?』

『ねぇ。ライブハウスに出てみない?』

バンド仲間とは疎遠になりつつも、やはり同じ趣味の仲間。

電話で夜中に話すことも多々あった。

 

再会の機会はライブだった。

「あいつプロになったらしくてさ。いっしょに見に行かない?」

とか。

「今度○○が来日するんだって、いっしょに行かない?」

とか。

 

そして久しぶりの再会。居酒屋で終電ぎりぎりまで飲む。

昔だったら朝まで飲んだ仲間も「明日仕事だから」と言って帰る。

会話の中でバンドやろうと誘ってみてもなかなかみんな腰が重い。

 

「バンド楽しかったけど、今は仕事が大変でさ」

「ギター好きだけど、弾く時間なくなってさ」

とやわらかい断りから

「今それどころじゃなくてさ」

「そんなヒマないよ。楽しかったけどね」

となってきて。

 

30すぎたころに気の合う仕事仲間が結婚式の2次会でバンドをやりたいと言い出した。

彼はベースを弾く。私はギターと歌。ドラムとキーボード(もしくはもう1人ギター)を探す話になった。

 

昔の仲間に声をかけた。

バンドのことを話すと言われた。

 

「おまえまだそんなことやってんの?」

 

なんだか社会人として自覚が無いみたいな言われようだった。

 

 

そんなこと。

 

 

実際30過ぎてバンドやってるとか、楽器やってるのは
“プロになるのをあきらめてない夢追い人”=世の中わかってないバカか、
もしくは
“道楽に時間使える呑気なボンボン”=苦労知らずでいい身分なんて思う人も少なくない。


事実私自身も【仕事と家庭】で日常の9割以上は時間を取られた。
(それ自体はさして悪い気はしてなかったが)
当時の営業の仕事はかなり忙しく、帰宅は毎日夜10時。


帰ってくればくたくたに疲れていて、たまにゆっくりできる休日があれば家族サービスがメイン。
ギターは弦が錆びたまま。いざ弾こうと思ってもまずは弦の張替えとなると、なかなか手が伸びない。

 

それでも音楽が好きだ。
それでもギターが好きだ。
それでもバンドが好きだ。


そこで始めたのが宅録だった。

ひとりで作るのは大変だったけれど。

それでも職場仲間にひとり、同じ趣味を共有できる友がいた。

 

彼の口癖のひとつ。

「情熱は嘘をつかない」

ひたすら作った。彼の言葉がうれしかった。

 

彼の協力やアドバイス、機材提供などもあって、自分の作品作りは続いた。

 

何せ【ライオン】なのである。

 

とにかくいろんな曲を作ったし、コンテストにも応募した。

時に、かの友人から「映画音楽の仕事がきたら、いっしょに会社辞めるか・・」なんて話もした。

 

当時作った曲を手に、いろんな門戸をたたいた。

 

ゲーム音楽を作成している会社に出向いたこともあった。

「まぁ、著作権を弊社にということで、曲が採用されたら5000円くらいお支払いしてます」なんて聞いて、あまりの安さにガッカリしたこともあった。

なぜなら、1曲作るのに40時間とか50時間とかかかるから。

 

それでも曲作りは楽しかった。

 

この楽しさはラクダのときには無かった。

 

ラクダは自分で決めた修行の時代だからね。ずっと先に楽しいことが待っているだろうと都合よく想像してがんばるだけだから。

 

それでもライオンの自分は 鼓舞したい。圧倒したい。賞賛されたい。戦いたい。。なんて思いが自分の中にうずまいていた。

(自己表現とか自己実現なんて言葉もあるけど、もう少し強いニュアンス)

 

生演奏もしたかったけれど、30代でのバンドは2回のステージだけ。

先に書いたベース弾き君の結婚披露宴の二次会バンドと、どこぞの会社のイベントでのにぎやかし。それ以外はほとんどバンドをやる機会はなかった。結局作曲した作品たちはほとんど世の中に出ずに、フェードアウトしていった。

 

かたや、家庭の中では当時の妻と絶縁状態になり、会社では違和感だけを感じて35で転職。趣味はたまに聞く昔のロックと、ゲームばかりになっていった。

 

そこから先の20年は以前のブログにさらっと書いた。

 

aonbo.hatenablog.com

 

【自分のギター史】はこのブログで現在に至る。

 

(そのうち、いまのギターとの出会いなどについても書くとは思う)

 

***************

さてニーチェさんの言葉にもどる。

【らくだ→ライオン→子ども】

この3つの態様の最後を【子ども】と表現したニーチェさん。

 

すばらしい。名コピーです!


この【子ども】というのが実はとても興味深い表現で。

 

古くから東洋の思想の中では「悟り」なんて言葉がある。


悟りとなれば人生哲学とか、世の中を達観、もしくは俯瞰して無我の境地まで行ったようなニュアンス。

 

でもニーチェさんの言う【子ども】は「すべてにおいて達観」した話ではない。
仮に「悟りを開いた人」となれば1000人の男女のうち1人いるのだろうか?
いや100万人に1人いるのだろうか?なんておおげさな話になる。

 

その手前が「賢人」とか「達人」とか「哲学者」で、これだって1万人に1人いるかいないか?の話で。


もっと手前なら「名人」とか「ひとつの事をまっとうした人」とか「何かを極めた人」とかになるのかな?


で、そのもっともっと手前に「真打」とか「名取」とか「免許皆伝」なんてのがあるのかな。

 

ただ、名人とか真打とかになると、あるジャンルの【プロの中でもすごい人】と言う話だし、どこか商売っ気があって、お金をもらって芸を見せる人とか、弟子を取るとか、生徒を募って教えていく人みたいなニュアンスだからニーチェさんの言う【子ども】とはだいぶかけ離れている。

 

つまり
①ひとつのことを続けていくうちにたどり着くもの
②「お金になる、ならない」とはあまり関係がない。
③自分のオリジナリティを発揮できる自由度の高さと技術を持つ
④楽しい(これがとても大事)

 

例えば
マンガが好きで自分でも書いてみた。
あまりにひどい絵なので、大好きなマンガ家の模写をするようになった。
なかなかうまくいかないけど、何十回、何百回と模写をした。

 

ここまでが【らくだ】

 

元の絵がなくてもさらさらっと絵が描けるようになってきたので自分の絵を
まわりに見せたら、いろんな人から賞賛を浴びるようになった。
けれど、「単なるモノマネでダメだね」なんて批判も来るようになった。
その悔しさバネにしてまた描く。
今度は「どうだ!うまいだろ」「どうだ?すごいだろ」と公の場にさらすようになった
(ネットで見せたり、コンテストに応募したり)


このあたりが【ライオン】

 

そして、もっともっと描いていくうちに、自分の好き勝手な絵を描けるようになって
「こんなのアリ?」とか「あなた自身が良く出てる」なんて声が聞こえてくる。

 

これが【子ども】の始まり。

 

そして創作による自己表現はさらに自由度を増して、過去のセオリーから外れたすばらしいものを描くようになる。


これがまさに【子ども】の姿。

 

ここからプロになるかどうか?と言う選択肢はある。
プロになってさらに進んでいくと「真打」とか「名人」とか「巨匠」とかにもなるかもしれないし、ならないかもしれない。

 

この例がマンガなので、やっぱり100人にひとりいるかいないか?の才能とか素養に関わってくる話に聞こえるかもしれない。けれど。


実は何でもいい。


自分が能動的にやるものなら何でもいい。


残念ながら受動的なものはダメだけど。

 

例えばマンガを1000冊読んでもそれはラクダの時代にはならない。
なぜなら受動的だから。


能動的なことにするなら、自分で100ページまんがを描く

 

クラシック音楽のCDを1000本聞いたってだめ。受動的だから。
それより、歌うこと。楽器を弾くこと。これは能動的。

 

ゲームを1000本クリアしてもダメ。受動的だから。
それならゲームクリエーターになって自分で作ってみる。これは能動的。

 

もっとわかりやすく言えば、テニスの試合をどれだけ観ても受動的だけど、壁に向かってテニスボールをラケットで打つのは能動的。

 

それは1000本、10000本と打っていると【ラクダの時代】から【ライオンの時代】へと移り変わっていく。

 

そしてニーチェさんは【子ども】から先の様態についてはふれていない。
そこから先は自分で決めたらいいということ。

そして【こども】までは、何かをがんばって続けると誰もが到達できるという話なんだと思う。とは言っても10人中5人いないかな。。

 

どぉ?ニーチェさん。

 

私がこの長いブログを3つに渡って書いたのには2つ理由がある。

 

ひとつは
【らくだ】の時代で投げ出してしまう人が多い。

それはとっても残念だ。

もちろん続かないものを無理にやる必要なんて毛頭ない。


それよりも「これならがんばれる」と思ったものを続けていくと、必ずつらい時期がくる。砂漠を1人でとぼとぼと歩く時間がやってくる。


だけど、その先にはとっても楽しい(充実したor幸せを感じられるような)時間が待っている。それを知ってほしいということ。

 

楽しいんだ。ほんとうに。

 

まさに童心に帰ったかのように。


※おそらくニーチェさんも「この楽しさを知ってほしい」そんな気持ちがあったと思う。

 

 

もうひとつの理由は


今の世の中はどこぞの企業が用意した「受動的な楽しさ」であふれていること。
そして、私の中では「受動的な楽しさ」は一時期の消費でしかないと思っている。

 

もちろん名画を見たとか、世界最高峰の音楽を生演奏で聞いたとか、世の中の言う「一流の作品」にふれることはとってもいいことだと思う。


メジャーリーグワールドシリーズを本場アメリカで見るのもいい。


だけど友達とキャッチボールを半年やってて
「うん?カーブのコントロールがよくなったな」と実感した時の楽しさはまた別のもの。

 

「それが何かの役に立つの?」とか
「お金になるの?」とかそんな基準で考えないでほしい。

 

こんなことやってても何の役にも立たない、、なんてことはラクダの時代に何度も自問自答しているんだ。

 

この、格別の楽しさは【ライオン】になって【子ども】になった時にわかる。
受動的なものとは比べようの無い楽しさ。


生涯「これ」ができるだけで楽しい毎日がある。


そして、もしも久しぶりにあった友人が
「実はまた新しいヨーヨーの技ができるようになってさ。。」と話してきたら
「まだそんなことやってるの?」とは言わないでほしい。

 

そのヨーヨー君は「子ども」なんだから。

 

 

超訳 ニーチェの言葉

超訳 ニーチェの言葉

 

 

トランプ政策のほんの一部を60過ぎの姉に説明してみた

私の姉(60越え)はとてもシンプルな考え方の人で。

 

姉「トランプさんはなんで他の国の人たちを(アメリカに)入れないの?ひどいことするね」と少し前のニュースを見ていて言ったので、ちょっとだけ説明した。


私「姉さんの職場にアジア系の外国人もいるでしょ?」
姉「うん。」
私「その人たちが『時給700円でいいから、がんばるから、働かせて』と言ってきたとするじゃん。そして、もし真面目にがんばる人が5人も入ってきたら姉さんの仕事無くなっちゃうかもしれないでしょ?今、トランプさんはそういう外国人労働者を減らそうとしてるんだよ。だから外国人労働者、ましてや難民とかをアメリカに入らせないようにして、アメリカはアメリカ人が働く場所にしたいって言ったのね。それを聞いた労働者たちが『そうだそうだ!』ってなって、まぁ、簡単に言うとそれで大統領になっちゃったのよ」


姉「でも、今までだってアメリカ人も外国人も働いてたんでしょ?」
私「そうなんだけど、仕事が無いって人の中には『外国人の安い賃金労働者がいるから自分たちに職がない』って思っている人たちもたくさんいるわけ。で、『まずはアメリカはアメリカ人でやってくから、他の国のみんなは自分の国でがんばってくれよ。うちに来るなよ。出てってくれよ。自分の国は自分たちでよくしろよ。』って言ってるのね。だから、もしどっかで作った商品をアメリカで売るなら、もちろん関税かけるよ。ショバ代払えみたいな感じでね。あとアメリカの企業はアメリカに工場作ってアメリカ人を雇って会社経営うまくまわしてくれよって言ったのね。実際トヨタとか大変なんだって」

 

姉「まぁ、そういう話もニュースでやってたけど。あんなに急に7カ国からの入国全部拒否ってひどすぎでしょ?」

私「トランプはやることが極端なんだよね。」

姉「今まではどうだったの?」

私「オバマさんは、アメリカも大変だけど、もっと大変な国、国民たちがいるのもわかる。だからみんなで解決策を考えていこう、みんなで努力しよう、みたいなことを言ってたのよ。そうすると、『その考えはかっこいいけど(理想的だけど)今アメリカで生活しているアメリカ人の俺たちの暮らしが苦しいのをなんとかしてくれよ』って思ってた人がずいぶんいたってことかな?」

 

 姉「うちの職場で働く外国人たちはすぐ文句言うし、「コレはこういう風にしてね」って言っても守らないし、やめちゃうし。。真面目じゃないし、続かないって印象だから私たちもいられるんだよね。。確かに。あれで真面目でイイ子だったらとっくに私失業してるかも。」

 

私「だからアメリカをよくしよう!って言葉は、他の国の人はみんないらねー!って意味なのよ。だけど、自分のとこだけよければいいってのは続かないと思うんだよね。もっと大変な国が助けを求めてきてるし、それ以前に国を棄ててアメリカにきてやっと生きている人たちもたくさんいるんでね」

姉「でも自分のところが貧しかったら、他への援助とか協力もできないから、トランプ指示するアメリカ人の気持ちもわからなくはないわ。好きじゃないけど」

私「そうなんだよね。で、一番怖いのは戦争なのよ。もしまた中東とかアジアのどこかでアメリカと戦争が起きたら、高い兵器がすっごく売れるのよ。車の売り上げ作るの大変だけど、戦車とかミサイルが10も20も売れたらすっごく儲かるのよ」

姉「どこが?」

私「アメリカとその傘下・・。」

 

つづく。(続けたくなくなってきたけどw)

 

 

 

ニーチェ君こんなんでよか? 【自分のギター史②】

思いつきながら、ニーチェ君が言ってた言葉になぞって自分のギター暦を振り返っている。

①はこちら。

 

aonbo.hatenablog.com

 

獅子の時代

何をやっていくにも、初心者から中級者になれば、その技がまだ完成していなくとも鼓舞したくなるもの。


さてさて、大学の学祭では貴重な経験をした。


時代は1980年ころ。


学園祭でコピーバンドと言えばストーンズ、パープル、ツェッペリンが主流だったが、時代の流れでパンク、テクノ、ニューウェーブ、クロスオーバーといろんなバンドが出てきた時代。


そんな中、私はジェネシス、UK、EL&P、YESなどのプログレ系のバンドをコピーしていた。


曲の中に変拍子(7/8拍子とか15/16拍子とか・・)があり、曲の尺が長い。当然曲の展開もいろいろと覚えないえればならない。

 

ところが難しいことにトライしている(自己)満足感、それがバンドとして出来上がってくるときの充足感は非常に大きかった。

3分の曲を5曲もやるより、15分の曲をやる方が大変だけど楽しい。どこか本人たちの中に優越感があった。ところが、いざそれを学園祭でやると、目の前のお客さんはみるみるいなくなってほぼゼロ。見ていたのは同じサークルの同じ趣味の3人ほど。


難解な曲。変拍子、長いイントロ、暗く悲しい和音の連続。それでいて、演奏も歌もたいしてうまくない。言うなれば男5人でマスターベーションをしているさまをお客さんに見せていたようなものだった。(学園祭なのでお客さんと言っても無料だけど)


U.K. - Night After Night (live 1979) Good Audio!

※↑比較的短くて聞きやすいけど演奏は難しいし、素人がやって、歌に魅力がないと「変な曲」で片付けられてしまう。

 

まぁ学園祭で披露ってのは、ひとつ勝負に出たが完敗した気分だった。

簡潔に言えば素人が弾くものじゃないと痛感した。

 

その後プログレバンド脱退して、「ウケる曲をやりたい」「背伸びした選曲はやめよう」って曲をやるようになった。
結局プログレ大好きだけど、「好きな曲と、人前で演奏する曲は別で考ないとマスターベーションになっちゃう」って事がわかった。だからひたすら楽しいロックをやった。
結果はとても盛り上がってそれは楽しい学園祭を過ごした(苦笑)

 でも“ナマイキになってチャレンジ”ってのは大事で、貴重な経験だった。


ある意味ラクダの時代の終わりが見えてきたんだと思う。

 

+++++++++++++++++

 

【これがギターじゃなくて武道だと?】

 

仮に【ラクダ-獅子-こども】の3つを剣の道に例えたなら。

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【ラクダ】→素振り、乱取りなどの稽古(入門者~初心者)
【獅 子】→演舞披露、他流試合、時代が時代なら試し斬り?(中級者)
【こども】→剣の求道。(上級者)

この上級者になる過程には、必ず自分との対峙がある。それが自分の流儀の開花となるんだろうし、そうなっていかないと成長は無い。


かの宮本武蔵で言うなら獅子の時代に巌流島で決闘をしたあたりかな?

そして晩年になって自分の影(自分という既成概念)を斬ったという逸話こそ【こどもの域】に到達したということかもしれない。

(ちょっと重いかw)

 

もちろんニーチェが武道をどうこうしたわけではないけれど、通じるものはある。

言葉遊び的に書くと、ニーチェのは「達人」じゃなくて「超人」だから。

 

さらに言えば歌やギターは「剣豪のように人を斬る」わけではないから、みんなに拍手をされて賞賛されることが多く、やってる側はとてもうれしい。

 

そういう意味では武道と芸術は近いと思う。

 

修行→会得→修行→会得・・を繰り返して、大きくなる。そして自分の技をもって人を倒す(圧倒する)ことを覚え、さらに強い相手を求めていく。

 

昔見た時代劇のドラマで「ええい、もっと腕のたつものはおらぬのか!」なんてセリフの道場破りの場面。

もしくは「おぬしの殺気ただものではない。。」と言いながら刀を抜いて斬りかかる場面。

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そう。ラクダからライオンになったばかりはひたすら腕試しをしたいのね。。

 

もちろん自分が傷つくこともあり、次の壁の大きさを知る。また先人の偉大さにも気づく。その中であらためて自分と向き合って「自由」になっていく。その自由の中から創造がうまれていく。

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悲しいことに向上心がある者は自分の欠点を克服したいと思う一方で、その劣等感から抜け出せずにもがく。これが実はいちばんのエネルギー源であり、ときにカンフル剤でもある。

 

剣道だと重いけど、、女子高生が「あれ?最近アタシの可愛さで男たちがイチコロ?」みたいな感覚も同じようなものかもしれない。

 

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その後の私はと言うと。

 

大学を出て社会人となり。時代はバブル。元々素人の集まりだったバンド仲間はバラバラになって、バンド活動はだんだんフェイドアウトしていった。

 

続く。