Yさんの隣人。
「青さん、1億貸してくれない?」唐突に聞いてきた。
職場のYさん。
「それは無理w で、何に使いたいの?」と返したら
「ちょっとゆっくり休みたいんだ」って。二人して苦笑ww
小さな会社のタバコ部屋。
1億って数字が会話に出たもんで、今度は私から話しかける。
青「ロト7買ってるんだけどね。この前4つだけ数字が当たったのよ」
Y「1万くらいになったの?」
青「いやいや1700円ぽっち。でね、1~41までの数字を4つ当てて1700円。
ナンバーズなら0~9まで4つ当てればさ、順序ばらばらでも2万くらいには
なるっしょ。割りがいいのはナンバーズ。だけど何度当たっても億の金は入ってこない。」
Y「オレもロト6ずーっと同じ数字買ってた時期あったんだけど、今はやめた」
青「ロト7って始まった当初1等出なくて、突然8億が2口出たんだって。それも女子大生が4人で買ったって話」
Y「あー。あの4人ってどうしてるんだろね。。」
青「いや、お金もらった時点で、連絡先変えて絶交しないと、事件になりそうだよね」
Y「女子大生4人で、1人4億ずつかぁ、、まぁ何かのキッカケでなくなっちゃうね。
最初に無くなったコが残りの3人の誰かのとこに行って、ぐちゃぐちゃになっちゃうかもねw」
青「ってかさ。もう3人は殺されてたりしてね・・・」
Y「おおお!ひとりで16億かぁ。。それはすごいな。ありえるね。。」
なんて話をした。
そしたらYさんから
Y「青さん、さっきの話だけどね。当たる人って何度も当たってるのよ。実は知り合いにロト6当たった人いてね。」
青「1等?!」
Y「そそ。1等。その人、ドヤ街のおっちゃんでさ。万馬券で200万くらい2回取って、宝くじで300万当たって。そのたびに職場仲間のうちらに、ご祝儀で1万とか2万とかくれてね。で、クニへ帰っちゃったのね。」
青「ほうほう。。」
Y「でね。ひょっこりまた顔出して『ドヤ街で、いつもの仲間と働いててね、そのお金でロトくじ買ったら当たった夢見た』って言ってさ。また働きだした。でホントにそのお金でロト6買ったら1等当たっちゃったってわけ。そん時は、夢に出てきた人全員に出演料って言って5万ずつくれたんだ」
青「ほえーーーー!!!すっげー!!!」
Y「でもね。その人、すっごくいい人なのよ。真っ正直って言うか。」
青「へー、どんな感じの?」
Y「あのね。ドヤ街ってみんな金ないじゃない。日払いでさ。もらった金すぐ使っちゃうでしょ。で、雨とか続いて仕事無いと今日食べる飯代がないって時に70万入った財布拾ったのよ。それ警察にちゃんと届けたんだよね。飯食う金無いのに70万拾って、ちゃんと届ける人なのよ」
青「うーーーん。。じゃぁ、万馬券も宝くじもロトもお地蔵さんがくれたみたいな話じゃん?!」
Y「そう。なんかね、当たる人って違うんだなぁって思った。オレなんて7千円拾っても『おお!神様がめぐんでくれた!』って速攻使っちゃうと思う。ましてや、70万なんて拾ったら、めっちゃ喜んで飲みにいっちゃうと思う。ダメだよなぁ・・」
青「あぁ・・オレなんてトイレに財布忘れて、戻ったら中身だけ抜かれたことある、、」
Y「あぁ、具だけね」
青「そう、具だけw でも、、やっぱり当たる人ってちがうんだね。そんな話聞いたら、オレ一生ロト7なんて当たらない気がしてきた(苦笑)」
Y「オレはロト6毎週同じ数字で買ってたんだけど、週に2回抽選になったでしょ?あれでやめた。もし、たまたま買わなかった時にその数字で当たってたら悔しくて眠れなくなるからさ」
青「そら悔しいやね。オレはたまたま買える時にだけ買う。それでダメならあきらめるって決めてる」
Y「で、当たったら1億貸してくれる?」
青「無理w」
成人の日。
以前に「元服」と言うことについて書いたことがある。
昔は、15歳で元服という時代があった。
仮に [元服=社会人として一人前] と言うことであるならば、
今の時代は元服は30歳くらいなのではないか?と言ったふうなことを書いた。
平成生まれという区切りが正しいかどうかは別として。
20歳前後で社会に出て働きだした若者が「自分の将来について深く考える機会が少ない」ように思える。おそらくそれは「物質的な豊かさ」とか「社会保障」とか原因はいろいろとあって、単純に「考える必要がないのかな?」と思うのである。
昭和の時代には、アルバイトであっても労働の対価として報酬をもらうときに、「お金をかせぐこととは何なのか?」と自分に問いかけている若者が多かったと思う。
その答えは初めは個人的なこと、自分の生活のことに始まり、次第に社会的なこと、近い将来のこと、親のこと、結婚のこと、自分が築く家庭について・・・などなど、、いろんなことを考えたでしょう。いや、考えさせられた。考えざるを得なかったのではないか?と思う。
わかりやすく例をあげれば。
親元に住んでいる19歳のA君が短期のアルバイトをした。7日ほど働いて5万円が手元にきた。その5万円でゲーム機とゲームソフトを買った。残りはほとんどないけれど、楽しいゲームをしている若者がいたとして。
この子が「アルバイトをし始めた時から、ゲームをしている時」までの間に、
自分の生活の今と未来について考えることがほとんどない。なぜなら5万円の給料のうちのほとんどを自分の娯楽に使える子には“考える必要”がない。
同じ19歳でも震災で家族を失った若者B君で考えてみる。
B君は大学に通いながら夜は知り合いの飲食店でアルバイトを始めた。1ヶ月後に8万円が手元にきた。彼はまず初めにお金の用途について優先順位を考えるだろう。自分の生活1ヶ月にどれだけお金がかかるのか?から計算をして、これからどれだけお金がかかるか?当然考えるだろう。たとえ答えが明瞭に出なくとも。そして、この先大学に通い続けることの意味と、大学を辞めることの意味も考えるだろう。そして来月の生活のことも、その先にある将来についても考えることだろう。
なぜならB君には考える必要があるから。
必要は発明の母なんて言葉もある。もしかしたら「生活の中の不安は、考えることの母」かもしれない。
自分と自分の生活について考える。家族について考える。将来の自分についても考える。そして考えることは人を成長させる。
新成人のみなさん、おめでとうございます。
多くを考える必要なく今日を迎えた方は、どれだけ幸せに育ったか?振り返って考えてみてほしい。ピンとこなくても。幸せが何だか?わからなくとも。
そして多くのことを考える必要に迫られ、今日の式を迎えた方は、それだけ幸せに近づいていると思っていいと思う。
私自身、自分のことについて考え始めた時期は遅い。
正直30代半ばからだと思う。だけど、幸せに向かうことがどういうことなのか?50を過ぎてやっとわかってきた。
だからこそ、新成人のみなさんには、(すでに成人されている方でも)成人の日が来るのを機会に自ら、自分のことから順にまわりのことを考えていってほしいと思う。
プラネタリウムの思い出
小学校4年の終わりころだったと思う。
母に連れられて渋谷へ行った。
初めてプラネタリウムに行った。
母とふたりで、入場券を買う行列に並ぶ。親子連れかカップルばかりだ。
「ここからあとに並んでいただいている方は、次の回のご入場となります。」
そんな案内を聞いて待つこと20分。
後ろに倒れる椅子に座る。
あたりが暗くなり、天井を見上げれば満点の星。
コペルニクスの末裔のような?ゆっくりと話すナレーション解説の中身は
聞いたこともない話ばかりだった。
宇宙に関する天文学的な話。
星座にまつわるギリシャ神話。
近々接近してくる惑星の話。
月食の話。日食の話。。
東横線の日吉駅からバスに揺られて15分のところにある我が家から見える空とは別の夜空が広がっていた。
あっと言う間に時間が経ち、ゆっくりと夜明けの演出に。
あたりが明るくなって15時の回は終了したけれど、ボクは興奮していた。
帰り道、「お腹すいたでしょ?」と聞く母に「うん」と答えて蕎麦屋へ。
ボクはカツ丼、母は天丼。
食べている間もずっと星の話をしていたと思う。
「また来た~い!来月は火星大接近だって!」
遊園地や動物園に連れて行ってもさして喜ばない私が見せた表情を
うれしそうに眺めながら母はゆっくりと食べていた。
食べ終わった母がお茶を飲みながらちょっと困ったような顔をして
「うーん、、じゃぁ来月はひとりで見に来れる?渋谷?」
「うん。ひとりで来てみる。来月は火星大接近の特集だって!」
「だったら、その時にお金渡すから、ひとりで行ってらっしゃい」
そんなような会話だったと思う。
翌月から、交通費+入場料+臨時のお小遣い(たぶん千円)
をもらってひとりで自宅からバスと東横線を乗り継いで。
“星降る東急文化会館の8階”へ。
「北側の外側が一番いい席なんだぜ」
ひとりでプラネタリウムへ行くと言ったら
歳の離れた兄が教えてくれた。
余ったお小遣いで、帰りの駅のスタンドでコーヒー牛乳を飲んだ。
季節が変わっても通った。
相変わらず入場券を買いに並んでいるのはカップルや親子連れが多い。
けれどひとりで渋谷まできているボクはちょっと大人になった気分。
学校では教えてくれない星の話を聞きにきていると思うと
どこか誇らしげにプラネタリウムを満喫していた。
プラネタリウムではその時期に合わせた天体の話をしてくれた。
新しい星の発見。地球の裏側に行かなければ見ることができない星座の話。
天体望遠鏡をねだっても買ってもらえない小学生が毎月通うのにじゅうぶんな話だった。
たまに食べた渋谷駅の構内にあるスタンドのホットドッグは美味しかった。
帰りの電車では来月の予告チラシを読みながら帰った。
プラネタリウムで見た星が実際の夜空とどのくら違う大きさに
なっているのか?そんな「空の縮尺」もだいたいわかってきた。
(プラネタリウムって実はずいぶんと小さい夜空なんだ・・・)
聞いた説明を反芻しながら近所の夜空を見上げても、なかなかお目当ての星にたどり着かないこともしばしばあった。
(えっと、、北極星は、、北斗七星のヒシャクの大きさを切り取ってその5倍進むと、、山にかかった雲しかないじゃん、、みたいなw)
夏は夏の星座。秋は秋の星座。冬は冬の星座。。
気がつけば1年に渡ってほぼ毎月プラネタリウムに行った。
母と行ってからほぼ一年経った時のプラネタリウムは退屈だった。
1年ほど前に聞いた話が大半だったから。
要するに「あ、話が一巡しちゃった。」と感じた。
ギリシャ神話の持つ特有の血なまぐさい部分が前から嫌だったことも手伝って、もう来なくていいや。と思った。
その日は何を食べたいと言うこともなく胸のモヤモヤを抱えたまま、東急文化会館の中のゲームコーナーに行った。
店内はジュークボックスの音であふれていた。
ピンボールは地元綱島のボウリング場でけっこうやってたので、すこし自信があった。
確かその当時100円で3ゲーム。
2ゲーム目あたりで高得点をたたき出して5~6ゲームくらい遊んだと思う。
数ゲームやっているうちに音楽が途切れた。
すると両替コーナーから若い従業員が出てきた。
そこらに置いてあるゲーム機に束になった鍵からひとつを差し込んでお金を取り出し集金袋へジャラジャラ。
ひと通りゲーム機からお金を回収したら、ジュークボックスに行って、その集金袋から小銭を取り出してガチャガチャと投入。
ジュークボックスに10曲くらい?まとめてリクエストした。
流行りの曲が流れ始め、妙に静かだった店内に活気が戻った。もう来ないな。と思った。
いつもよりすこし遅い電車で帰った。
考えてみれば、母と2人でデートしたのって、物心ついた時から数えて何回あっただろうか?多くても10回はない。
おでかけの多くは法事とか病院へお見舞いとか、そんな記憶ばかりだ。
とは言え出かける用事は何であれ、和服を着ておめかしをした母と歩くのは好きだった。
おでかけの用事が済むと母は決まって
「お腹すいたでしょ?何か食べてこうか?」と満面の笑顔でボクの顔を覗き込む。
食いしん坊のボクはいつだってお腹が空いているから、訊かれたら必ず
「うん、お腹空いたぁ」と返す。
“息子のお腹がすいたんだからしょうがない!今日は料理せずに外食にしよう”
という正当な主婦の言い訳を子どもながらに理解していたんだと思う(苦笑)
行き先は蕎麦屋。
母は天丼、ボクはカツ丼。いつもそう。
母はモリモリ食べるボクの顔をよく覗き込んでた。よく笑ってた。
今思えば、あれは母の数少ない、ささやかな贅沢だったんだろう。
息子と外でおいしいものを食べる。
息子の興味があることを聞いて、近い将来をすこし想像してみる。
息子が覚えた流行りの冗談を聞いていっしょに笑う。
それは生活が苦しくても、弱音を吐かない母のストレス発散だっただろうし、
けっしておおげさでもない明日への活力になっていたんだと思う。
無邪気によく笑う可愛い人だった。
89才でこの世を立つ直前までその可愛らしさは変わらない人だった。
あの時ボクはさびしかったんだなぁ。
そんなことに気が付くのに何十年もかかってしまった。
そうだ。ピンボールのTILTが点灯したのもあの時が初めてだった。
あれから40年以上過ぎた。
あの頃の渋谷はもうない。
そして寂しいことに気づかない人は増えた気がする。