ちょっと前にNet Flixで観た映画の話。
「ハドソン川の奇跡」を少し前の休日にNet Flixで見た。
「まだ上映しているのに時間帯があわなくて観れずに終わってしまう」ということも少なくない。
そんなこんなで、最近、映画はネット配信で見ることが増えてきた。
ツマさんはけっこう時間があるので、Netflixでドラマや映画をいくつも見ていて“私の好み”だろうと思うものを推薦してくれる。
ふだんの休みと言えば、バンド関係とその動画編集ばかりやっている私だけれど、たまにこういう時間を持つのは悪くない。
便利な世の中になった。
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で。今回は見逃していた「ハドソン川の奇跡」を薦められて夫婦で鑑賞。
クリント・イーストウッド監督の作品はいつも「生身の人」がテーマだ。過去作品もいい。
この映画もまさに「生身の人」が現場でがんばっている姿が描かれていた。
2009年に実際に起きた飛行機事故が題材。そのあたりは劇場用CMで知っていた。
実際にCNNなどでこの時の事故の様子を見た記憶もなんとなくある。
ストーリーはいたってシンプル。
**あらすじ**
飛行機が離陸して間もなくエンジンが鳥の群れによって停止。
機長と副操縦士のとっさの判断から、ハドソン川に不時着。
クルーを含めた155人の生命を救った。
厳寒の1月の川への不時着。近くにいた船などの助けもあって老若男女の誰もが生命を失わずに済んだ。
まさに奇跡だ。
翌日からパイロットは時の人となる。押し寄せるマスコミ。バーで飲んでいても「あんたはまさにヒーローだ」と。まさに有名人。
そして事故の検証。川への不時着。「その判断は適正だったのか?」という調査。
生命を救った機長と副操縦士の二人はまるで裁判のような場所で問い立たされる。
「もっといい方法がありましたよね?」ベストな選択だったのか?
その結末は??
と言う話。
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ストーリーはいたってシンプル。おおざっぱな語りなら4コマ漫画でも描けそうな話。
だけど。彼が伝えたいものは2時間の映画でも足りないほど。
そのひとつは数理的な処理でするシミュレーションではまったくもって足りない要素がたくさんあると言うこと。
そのひとつは理論と実践はまったくもってちがうということ。
そのひとつは「何を大切にしているか?」ということ。
公開検査の場で語られる「人がやってるんだ」と言う言葉の中に、強いメッセージを感じた。
近代の産業の歴史は「人に代わる機械」の歴史だ。
古くは「産業革命」
世の中にはいろんなオートメーションがあふれている。
自動ドアを不思議だとか、すごいと思う人は現代にはもういない。
自動販売機から「ありがとうございました」と声が出て驚く人もいなくなった。
今は車の自動運転がテストされている。
AIもどんどん実用化されてきている。
便利になることで、恩恵を受けるのは私たちだけど、何がしかの代償も払っているのも私たちだ。
大量生産のための工場は増えたけれど、工員は減った。
腕の立つ職人と芸術家はほんの一握りだけが残る。
人でなければできないことは無くなりはしないが、減っている。
だけども想定外の事態が起きたときの判断は人でないとできないことがまだまだある。
どこまで機械が発達しても産業は常に利益を追うもの。
■1-100までのものを想定して作られた機械があるとして。
そのうち偶数だけ全部抜いてしまっでも作動に問題ないのでは?とか
20から80までで十分なのでは?とか。。
予算に応じたコスト計算がなされて商品化されている。
その設計と試算をした人に、私たちは生活をゆだねられている。もっと言えば人生や生命までもゆだねられている。
そうして設計されてできあがったモノを動かす(運営する)人たちにもしも「命をゆだねられている」という意識が無くなったら、川に無事着水できずに多くの命が奪われてしまう。
なんてことまで考えてしまった。
ダーティハリー監督作品にハズレなし。だよなぁ。。
特にラストのセリフには拍手もん。よかった。
楽しい時間をありがとう。Net Flixさん。
とし。
少年は自分の歳を学年で知る。
小学校1年の夏に転校をしたので、6歳のころの記憶はほぼそれだけ。
中学2年。ギターにはまる。
高校1年。同世代の連中がテレビで野球をしていた16歳の夏休み。
好きな彼女のことと、ロックスターのことしか頭になかった17歳。
大学に入ってひとり暮らしをはじめた18歳
恋もセックスもなんとなくわかった気になったような19歳。
父の早すぎる死を受け入れた20歳。
懐かしい友と会った成人式 。
就職して、いやな上司と尊敬する先輩に囲まれてた22歳。
大好きな彼女に子供ができたと聞かされて結婚した24歳。
自分の子供と楽しい時間がやってきて稼ぎが人並みになった30歳。
先輩と飲み屋に行ったら、そこの若い娘がひとまわり下と聞いておどろく32歳。
マイホーム、転職、離婚で30代は心があわただしく終わった。
息子が二十歳になったと聞いて酒をかわした45歳。
このあたりが折り返し。
酒とギャンブルとゲームとマンガを一度に卒業して昔の仲間とバンドを再開した46歳。
娘が二十歳になったと聞いて横浜でたくさん買い物をしたのは47歳。
新しい伴侶に半端なプロポーズをした48歳。
ガンで親友が先に旅立った49歳。
これから少しづつ減っていくんだと気づかされた50歳。
母が旅立った53歳。
先日“むこうでお父ちゃんがアタシのことわからないと困るから”と88でも化粧をしていた母の3回忌が済んだ。
集まった親戚は20代30代中心。赤ちゃんもいた。小学生もいた。
友人に孫もできて、また自分の歳に気づかされる。
そう、いつもまわりに気づかされてばかり。
昨夜は音楽仲間のお通夜でした。
音楽仲間のKさんの奥さんが40歳の若さで旅立った。
自分より若い人が順番をこえていくのは本当につらい。
何を気づかせてくれてるっていうんだよ。そりゃないぜ神様。
冥福を祈るほかないじゃないか。。
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遊びと仕事を教えてくれた"尊敬する先輩”が向こう側にいっちまった56歳
だけど。
同じ56歳にして、初孫登場!
義理の娘の子だから、血はつながってないんだけど、孫ができたのはやっぱりうれしい。
ギリギリの孫ばんざい!
++++以降の年表追記 2017.8.26
かなり、やりきれない気持ちで書き始めた「とし。」だけど、いろんな命があっていいんだよなって思えてきた。
赤ちゃんってすごい力持ってるな。あの小さな手と大きな泣き声に感謝。
「ずるい」と「うらやましい」の話
幼い娘2人(5歳と7歳)が「ずるい」と言うので、「それはちがうよ。うらやましい」と言う気持ちだよと説明した。って話(ツイート?から取り上げたコラム)がネットに出ていた。
参照 http://www.jgnn.net/ls/2017/08/post-15584.html
うーん。。こどもの言葉の表現には必ずまっすぐな意味があると思って書いた。
気になったのは、その注意の内容が
「他人がいい状態にあることはずるくもないし、君が損しているわけでもないと説教した。」と書かれていた。
確かにそれはそのとおりなんだろうけど、嫉妬の元について説明していないから、どこか、「うわべだけの理屈」のような気がしたんですね。
つまり「自分と他人は違う」ということを前提にしていない説明なのかなと。
嫉妬は「自分も他人も同じ」を前提にするから起きるものじゃないかと思う。
これ、昭和のおっさんなら
「じゃあ、俺が屁をしたら、おまえも屁をするのか?ぐははははww」と笑いながら教わったもんだけど。。
平成の世の中、そんなおっさんは、なかなかいない。
隣の芝生を育てている住人は、自分の家の芝生とは環境から水やりから、何から、、いろいろ違うってことを知れば比べてもしょうがないって思うわけで。
みんなそれぞれ違う環境、違う生活、違う才覚、違う努力、違う「幸福感」で生きているって話をしてあげないとね。
こどもが少しでもわかる部分で。
もちろん相手が不当に利益を得てるとか、不正してるなんて思ってないのに「ずるい」は表現としておかしい。
だけど、それでも出てきた言葉が「ずるい」ってことは大前提として自分と他人が同じと思っているからなんじゃ?と思うわけです。
たしかに「うらやましい」という言葉自体を知らないから、教えてあげることも大切だけど。
極端な話、その娘さん2人が、テレビでオリンピック選手が金メダルを取ってる姿を見て「ずるい」とは言わないと思うわけで。
もし仮に「私もがんばって金メダル取る!」と言ったら「じゃぁがんばって誰よりも練習しようね。そうしたら一番になれるから」って話になるでしょう。
金メダルを取ることの裏側には大変な努力と才能が必要だってことは5歳でも7歳でもすぐにわかるんじゃないかな?
まぁそんな極端な話じゃないから「ずるい」って言ったんだろうけどね。
大前提として自分と相手は違うって思えば、つらまない嫉妬は生まれにくいと思う。
どちらかと言えば、自分とさして変わらないような人が何かの成果を得たのを見て「いいなぁ、、よーし自分もがんばるぞ」と思ってくれたらいいなぁ・・くらいの話だけど。