漢字の感じ。糸
ちょっと訳あって糸へんの漢字を探していた。
糸へんって、いろんな字があるもんだ。
「絆」きずな
糸が半分と書いて「きずな」
片方の糸の端をつかんでいても絆は生まれない。
もう片方の端につながらないと絆にならない。
そんな意味合いなのかな?
もしくは絆だと思っているのは本人だけとか?
うーん、ずいぶん皮肉っぽいな。
じゃぁ、半分じゃなくて全部はないのか?
なんてこと思って探したら、あった。
「絟」
こっちはどうやら細い布のことだと書いてあった。
糸が全部で布か。葛とか細麻のことらしい。
絆とは違う意味合いだなぁ。意味あるのかな?
そのあたりはまったくわからないけど。
で。もうひとつ。
「絶」
どうして糸に色をつけると絶(断つ)になるのだろう?
糸は素材だけれど、色をつけると目的がはっきりして、その次には絶たれるということなるんかな?
糸を追っかけていく?「すがる」なんて字もあった。へー。
糸へん面白い。
ボヘミアン・ラプソディを観てきた。
ボヘミアン・ラプソディを観てきた。いろいろ細かいことは抜きにして大変よかったです。
(表記の中に細かなネタばれあります)
今回の映画、SNS仲間の間でも評判がよくて、夫婦で観てきました。
何はともあれ音がよく、名曲の数々を大きなスクリーンとともに堪能できた。
これだけでも古き1ファンの私は大満足です。
以下思うままに。
・オヤジ(私)が見て泣いた理由
正直なぜ泣いてしまったとか、どの場面で泣いたとか細かいところはどうでもいい話なのです。
フレディが初めてロジャーとブライアンの前で歌った時にすでに涙腺崩壊。
まぁ一言で言えば「Queenへの思い入れ」と「フレディがいない」ということなんでしょうね。
・登場人物が似ているとか似ていないとか、それも特に言う必要ないと思いました。
個人的に「彼はもっとこうなんだよな」というのは人それぞれあるでしょうけれど。
いっしょに観たうちのツマさんは「主人公が本人と一致しないまま観ていた」と言ってました。私も「どこまで似ている?」と聞かれれば疑問はありますが、映画の出来映えに影響するほどのことはなく、映画作品としてじゅうぶん楽しめました。
・音楽ビジネスの中での金銭問題とか、プライベートの恋愛の部分とか、いわゆる裏側の話は知らなかったファンにはうれしいような、知りたくないような。。
複雑な気持ちで観ていました。ただこの映画の終わり方はとてもよかった。
(以下は個人的クイーンの思い出の話)
・フレディの恋愛観については、今は素直に見れる(語れる)時代になったものだなぁ・・とちょっと感慨深いものもありました。
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私が初めて聞いたクイーンは中3の時(75年)に友人が買った「キラー・クイーン」のシングル盤でした。友人宅のステレオから流れてきた音楽はあまりに華やかで、ツェッペリンとパープルしか知らなかった私には「とらえどころの無い万華鏡を観ている」ようでした。
その年の暮れに、キラー・クイーンが入っている「シアー・ハート・アタック」を買って聞きまくりました。
今でもブライトン・ロックのイントロの前に入っている雑踏の音を聞くと心がざわざわします。
その年の暮には「オペラ座の夜」が発売され、毎週見ていたベストヒットUSAでのマンスリーセレクトとして「ボヘミアン・ラプソディ」のPVが1ヶ月(週一で4回か5回放映)にわたって紹介されたのを記憶しています。放送は76年だったかもしれません。
「キラー・クイーンの次はコレかぁ・・すごいなぁ」と思って観ていた記憶しかありませんw
ただ、私は友人のススメもあって、オペラ座の夜を買う前に、2ndを買いました。
このQueenⅡこそが青春の1枚だったかなぁw
その後「オペラ座」は友人から借りて聞きましたw(買わなかった)
「華麗なるレース」はFMの番組をエアチェックしてカセットで聴いてました(これもお気に入りだけど買ってない)
JAZZ以降のクイーンのアルバムは聞いてません。ヒット曲だけは知っていますがw
(ロック色が消えてしまって楽曲に魅力を感じなくなってたからです)
QUEENのライブは大学4年の時に1982年の西武球場で音楽サークルの仲間と観ました。
ブライアンのファンだったギター小僧の私が、ステージではずっと(ブライアンが1人舞台でギターソロを弾いた時以外)フレディしか見てなかったほど、フレディは凄かったです。
ライブ・キラーズのジャケット写真と同じバリ・ライト(照明装置)が動きながら光っていたのが印象的でした。
その後フレディの死を知り、2005年横浜アリーナでのクイーン+ポールロジャースの公演を観ました。
このライブは、当時大学生の息子と行ったのですが、フレディの顔が大きなスクリーンに映しだされて歌声が聞こえた時に、隣の息子なんぞまったく忘れて涙が止まらなかった。
(もちろんポールロジャースはすごかったんですけどw)
まぁ、形はまったく変わってしまっていましたが、どちらも「フレディ・マーキュリー・ショー」だったというのがライブを実感したオヤジの感想です。
それからすでに10年以上経ってしまいました。
クイーンの思い出はそのまま凍結していたのですが、この映画で、奥の奥の方に置いていた箱を開けられて、自然と涙があふれたのだと思います。
あぁなんだか湿っぽいブログになってしまったのでこの辺で終わりにします。
エコーチェンバー現象
先日の某国営放送の番組で「エコーチェンバー現象」について解説していた。
※Wikiでは番組同様「フィルターバブル」についてもふれている。
ひらたく言えば「同じような考え方(感じ方)の人たちの中で、あるひとつの意見に賛成・同意をしあうことで、「あるひとつ」がどんどんと増幅していく」というようなこと。
ネットの(SNSなどの)あるコミュニティの中で「私は○○だ!」と意見を言った時に、多くの賛同(イイネ!やりツイート)が得られて、気が付けば、他の意見を寄せ付けない人ばかりのコミュニティ集団になっている現象。
以下の話はエコーチェンバーとちょっと違うけれど、昔の職場のK君を思い出した。
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K「ねぇねぇ、あの人のこと聞いた?」とやってきて他人の醜聞を話す。
私「いや、知らないけど・・・」
2,3日するとまた「ねぇねぇあの噂聞いた?」と話しかけてくる。
私「あぁ、それならM君からも同じこと聞いたよ」と言うと
K「あー、、やっぱり噂はほんとうなんだ!」なんて言うもんだから
私「M君はあなた(K君)から聞いたって言ってたよ」と話すと
K「なんだ、噂の元はオレ?」とおどろく。
噂を流した本人が、その噂がまわりまわって他から聞こえてきて、確信してるんだけど、元はと言えば、全部K君ひとりで流した噂。
いやいや、これ笑い事じゃなくて、作り話でもなくて、ほんとにあった話。それも何度も!!
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K君は何かで思いついた推測を【いち早く】【刺激的な】【醜聞】として周りに話すことで【自己顕示】をしたかったんだろうなぁ・・・という点で構造、心理が似ている。
ただ、当時はSNSもネットも無かった時代だから、聞かされている周りは、彼のことを知っている人ばかり。だから【話半分】で聞き流していた。
それでも当時、被害者は少なからずいた。
事実私も変な噂を流されて困ったことがあった。
今はSNSで何千、何万の人に推測からの「噂」でも、拡散されてしまうことが少なくない。だからフェイクニュースが広まるのは早い。
いつの間にか【想像・予想】→【噂・デマ】→【周知の事実】となりかねない。
いや実際なってきている。見ず知らずの多くの他人を偏った意見が動かしてしまっている。
だから国営放送でも取り上げた。
エコーチェンバー現象となってしまうと、いつのまにか「正しい」「真実だ」と信じ込む。
そして「オレはそうは思わない」とその集団に言ったとしても、攻撃されるか、跳ね返されてしまうか無視されるか仲間はずれにされてしまう。これはこわい。
そして、残念なのはその内容の多くが否定的で攻撃的なものばかりが目立つ。
みんなどれだけストレスたまってるんだ?
番組の中で印象的だったのは
「昔は『いろんな人の意見を聞くことが大事だ』と言ってた父が、ネットにはまってから家族の意見ですら聞かなくなってしまった」という娘さんの言葉だった。
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仮にサイコロ振って「2」が3度続いて出たら、このサイコロは「2」しか出ない!(イカサマ用だ!)とでも言わんばかりのお話だ。これだけなら笑い話ですむのだけれど。。
「今回たまたま「2」が続いたんでしょ?でも次はわからない」と頭の片隅のフォルダーに格納しておくことができない。
起きた事象にそれ以上のレッテルを貼らずにそのままデータ保存することができなくなっている人が増えた気がする。
昔の人はレッテル貼って騒いだところで「あいつは懐(ふところ)がせまい」とか「考えがいつも短絡的」とかって揶揄したものだけれど。
今はSNSというツールで、何万人、何十万人に膨れあがってしまって、とても揶揄してなんていらない。
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戦争に勝ったとしても、外国人を悪者にしても、けっしてその国はゆたかにならないと言える場所も少なくなってきて、こうして嘆きのブログを書くくらいしかない。