昭和の忘れもの。

1960年生まれの青ん坊語り。

行間。

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以前に「行間を読むこと」について書いたことがある。

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今の30代くらいより年下の世代だろうか?
デジタルな世代とかいろいろと言われているが、単純な言い方だと

"書かれていない部分”を読み取る力がない。

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それはマンガやドラマの表現の変化を見ればわかるけれど。。今のは、何かにつけて分かりやすく作られている。

 

結果として

「表示されていない情報はわからない」
がいつのまにか
「表示されていない情報は推察しても仕方ない」
さらに進んで
「表面に出ていない情報は無いものとする」

 
「そんな情報どこにも書かれてないんだから、無いですよ」になってしまう。 

これは、若い人たちの判別能力が低いのではなく、そういう判断をするものとして脳が学習してきただけかと思う。癖とでも言おうか。

 

だから「表面から得られる情報から、その奥を推察してみてください」とか
いちど深読みしてみてください」と言えば、なんてことはない。じゅうぶんに理解できるのである。

(ここを私たち(年配者)が能力が低いとするのは大きな間違いだと思う。。)

 

若い世代でも、チャップリンを10分も見ればファンになる子もいるし、海外ドラマの心理描写の場面で手に汗にぎることもある。

 

ただ、ふだん「テレビから流れてくる情報」からは、その表層だけで判断を下すという、ある意味、変な学習機能が働いてしまっているんだと思う。

 

以前昭和40年代あたりの少年マンガでは、野球帽を深くかぶり直して、くるりと背中を向ければそれは涙を隠している姿であり、別の1コマに「右手こぶしに汗」のアップがあればグッと力をこめていると読者はわかった。

 

けれども、巨人の星が登場したあたりから変わった。

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伴宙太が「飛雄馬の特訓だの苦労だの」について説明して、「星よーおまえってヤツはぁ~!」と涙を流している様を見て、初めて読者に飛雄馬の気持ちが伝わるという、脇役が説明するスタイルになってしまった。


すると、伴が何も言わないときの飛雄馬は何もしてない=普通の練習だけ=魔球開発も特訓もしてなかった選手になってしまう。

 

この「ごていねいな説明」が始まったことで、読者は「説明されなければ推察しない」のが当たり前になってしまった。渡鬼なんていちいち説明ばっかでセリフが気持ち悪いw

 

政治家が諸外国へ行ったニュースが流れれば「仕事している=がんばってる人」になり、国会で発言している様がテレビに流れない政治家は「仕事していない=仕事してない人」となる。

 

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つまりメディアに流れるかどうか?が非常に大事なわけで。

特に深読みせずに、そのまま露出された部分で評価をする。

 

これが「ほかではどういう活動しているのかわからない」という疑問のままに置いておくことはできない。(レッテル貼って終わらせる癖とでも言おうか。。)


極端な話「天皇は何をしてるのかわからない人」ではなく「式典で手を振ってるか、慰問以外は何もしてない人」になってしまう。

いや、こんな失礼な話、おそらく50代以上の世代には考えられないかもしれないけれど、事実そういう見方をしている若い世代の人たちは少なくない。

 

現政権について一定以上の評価をしている人は20代が多いというのも、そのあたりに起因するのかな?と思う。


うーん。。

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少し前にとても強い将棋指しの中学生は出てきたけど、、今の将棋人口少ないのがよくわかる気がする。。