解決の不都合
ネット、とりわけこのところのSNSとかメディア報道を見ていて思うのは「誤解を解くために双方が話し合う事はいけないの?」という意見が無い事。
海を挟んで「アッチが悪い」「アイツは酷い!」とずーっと言い合ってる子どもの喧嘩にしか思えない。
なのに「なぜ話し合わないのか?」とか「どこが食い違ってるのか?すり合わせなきゃダメでしょ?」と言わない。
聞こえてくるのは「今度はこんな酷い事言ってきた」なんて話ばかり。
「話し合おうと思っても、相手があんな酷いんじゃ余地が無い」とお互いで言ってる様を毎日報道していること事態おかしいと思わないのかな?
以前にネットの偏りについて書いた。
http://aonbo.hatenablog.com/entry/2018/10/31/200000
マスメディアがエコーチェンバーの火元になってないよね?
なんならシン、ムン、トラ、プーの4人でゴルフやったら?まぁ無理だろうけどw
どっか。。解決したくない事情?都合?があるんでしょうか?
まさか「手持ちの花火が湿気っちゃうからうちあげたい」とか思ってないよね?
30過ぎの娘と60手前の父とで政治の話。
久しぶりに私の娘のKが家に遊びに来た。
何やらマロンクリームという頂き物を土産に。
うちのツマさんはこれでスイーツを作ると張り切っている。
娘のKは派遣社員として働いているが、なかなか続かず、いくつもの職場を動いている。そんな中、ふだんは節約して暮らし、自分の趣味を謳歌している30過ぎの独身女子。
で、程なくお互いの近況報告をした後に、参院選の投票に行ったか?訊いてみた。
K「行ったよ。でも支持したいと思う候補者はいなかったなぁ。」
彼女なりに政党のポリシーなど選挙前にざっと調べたらしい。
それから れいわ新選組の話、N国党の話、オリーブの木の話、共産党の話などなどお互いの印象について話した。Kが思う消去法による安倍政権についても話した。
程なく投票率48%の低さの話になった。
K「友達を誘ってね、一緒に投票に行こうとしてもね、横浜の住民と東京の住民じゃ投票所がちがうでしょ?だからね、選挙に誘おうと思ってもなかなかね。。」
つまり、全国どこの投票所でも、身分証明ができれば自分の選挙区に投票できるシステムがあったらいいのにと言う話。そしたら住むところはバラバラでも、仲間で集まって飲みに行く前にみんなで投票に行くのに。。なんてこと言ってた。
私「投票率上がったら困る人たちが政権取ってるから、投票率を上げるためのシステム作りはなかなか進まないよね。投票率をアップさせるための広報なんてほとんどなかった。それも忖度なんだろうなぁ」
彼女曰く、同世代の仲間が投票に行かない理由の一番は「面倒くさい」
よくわかる。
「どうでもいいわけじゃないけど、面倒」なのだ。もっと身近なものと思って欲しいけど。
さらにメディアの報道について訊いてみた。
K「テレビの報道は偏っているからネットを多用している」という。うん。
実はこのネットについて彼女の話をよくよく聞いて驚いた。
ネットは「検索されたもの」から関連するものをお薦めしてくる。
これはツイッターでもYouTubeでもその他のSNSでも似たようなもの。
コレ、ふだんの生活ではけっこう便利な機能。
ただ、仮に「A党に賛同している人」のものを観ると「A党に反対している人」のものは極端に出てこない。
それは過去の誰かの検索結果や閲覧結果によるものからのアルゴリズムのようで、A党の●●さんの演説をネットで検索して閲覧したら、どんどんその関連として支持者が出てくる。(これは特段、与党に限ったことではないようだ)
だから選挙前に私が見ていたネットの情報とKの見ていたネットの情報とは全くもって違っていた。
なおかつ、お互いの話をほぼ知らなかった。
これ、テレビの報道の偏りどころじゃないw
自分で調べたつもりで見るネットの情報、自分がいいと思った(興味を持った)政党、政治家。
これらを検索して観ると、その人への賛辞、賛同の話は次から次へと出てくるものの、反論(異論)はほとんど出てこない。
さらにその政治家や支持者のツイットには何万、何十万とイイねがあって、自分がイイと思った事=世の中の主流な意見と勘違いしてしまう怖さがある。
娘のKに政治の話で、自分のイチオシを押し付けることは、全くもってしない私だけど、今の改憲が戦争に向かっている危機感についての話だけは熱を帯びてしまった。
K「戦争に関することは国民投票で過半数を得ることがないから大丈夫だよ」なんて言うものだから。。
※うちのツマさんが先週入院していた病院に向かう途中で撮った。
東京の郊外、三鷹の公園にある。
おかげさまでツマさんは元気に退院して静養中。
【選挙】代官vs百姓という図式が。。
昭和の頃までは、選挙と言うと右とか左は別として
お代官様vsお百姓さん
年貢をとる側と取られる側みたいなw
お金持ちにとってありがたい制度vs貧乏人にとってありがたい制度
そして多くの人は、今の自分(家族)にとって都合の良い政策(政党)を選ぶ。当たり前のこと。
だから民主政治となってからはいつも富裕層と庶民の戦いです。
つまり。
お代官様vsお百姓さん
ところがこの図式が平成の30年でだいぶおかしくなってきた。
お代官様お抱えの政治家さんたちが「お百姓さんのこともしっかり考えて政治をします」と言う。
さらに生活困窮な人たちをまとめている政党が「みんなで年貢を払って、みんなで豊かになりましょう」なんて言う。
「貧困層よ、騙されるな!立ち上がれ!」と言ってる側は、なんだかどんどん弱くなってしまって、頼り甲斐がない。
昭和の終わり頃から中間層は急激に増えた。
中間層になると政治家の声が響かない。
だって金持ち用の政策も、貧困を救済する政策も、なんとなく他人事。ちょっと所得税が減って消費税になっても、正直どっちでもいいやって感じ?
さらに政策が良いか悪いかなんてほとんど興味無い。戦争になるわけで無いし円高になっても
平成の30年でさらに中間層は増えた。
いや、多くの人は、自分は中間層と言う意識になっていった。
(昭和の時代での中流階級とは違うんだけどね)
そして無関心な層は増えた。
だってお金持ちでもないし、貧乏でもないんだもの。
政治なんて誰がやっても、たいして差がないって思うわな。
ところが、実際は意識だけが中間層で、実はほぼ貧困層と言う人が増えた。
被災、事故、病気、ケガ、リストラなど何かのきっかけで貧困層になってしまった人も一気に増えた。中間層は実は今の日本ではそのまま貧困層予備軍だと気づかされた。
ポイントカードと割引クーポンだらけのお財布を持って、できるだけ安いファミレスにいく。
テレビのCMでも「安い」「お得」「リーズナブル」「割引」そんな言葉でいっぱいだ。
どうして?
すでに生活が困窮してるからなんだよね。
「高いけど、いいものなんです」なんて言葉には誰も振り向かない時代になっちゃった。
昭和の時代は
「もの買う時に、ワンランク上のものがほしい」という気持ちがどこかにあった。
平成の時代には
「同じようなものなら、少しでも安く買いたい」が筆頭株主。
だからね。
私のような昭和のオヤジは
なんとなくつまらない。
なんとなく寂しい。
なんとなく情けない。
だから選挙に行く!
今一番怖いのは多くの人が我慢している生活の中のストレス。
この生きづらさが、大きな犯罪や戦争に向かわないように願って、、選挙に行く。