「山道を通る人に刃物をつきつけて金品を奪うのは簡単だよね。そいつが損して泣いても関係ない。」と言う人がいたら、何と答えるだろう。
「やめろ。そんなことしたら、警察につかまるよ」「思っているほど簡単じゃないよ。ていうか相手の身になってみろよ」と良識ある人なら言うだろう。
賊「そっか。刃物をつきつけて脅すとすぐに捕まっちゃうか。だったらお金持ってる老人だましてお金出させて、あとはさっさと逃げればいいんだな。俺のが足速いし」
と言う人がいたら、何と答えるだろう。
人「ばかだなあ。すぐ捕まるよ。だいいち、人からお金をだましとるなんてできないでしょ?」
賊「そっか。だますってのも大変だよな。でも、うまくやる方法教えてくれる人がいるらしいんだ。その、だましの専門の人のところに行って、言うとおりやれば100万くらいすぐもらえるってきいたんだ」
人「だから、、そういう考えやめろ。金稼ぐのになんで犯罪に走る?」
そんな若者。実はけっこうな数いるらしい。
ほんとに楽しいこと、ほんとにうれしいことを知らない若者。知らないで育った若者。彼らには希望がない。光がない。愛がない。
誰かが悲しい思い、苦しい思いをしても、自分が儲かるならOK。
そんなひどい考えは、ずっと昔からあっただろうけどさ。
100歩譲って賭けマージャンならまだ話は別。参加者4人とも「損するかもしれないけど、他の3人からお金を勝ち取れるかもしれない」って気持ちでゲームに臨んでいるから。
でもマージャンじゃなくて、4人でケンカやって、一番買ったやつが負けたやつからお金持ってくって話を聞いたら「そんなことやっちゃいかん」って言うわなぁ。
以下同じ。
会社が100億儲かるなら、まわりの会社が倒産しても消費者が病気になっても関係ない。それで社長には10億はいるし。
「いやいや、それは無理でしょ?」と言えば
「いやいや3円で作った物を300円で売る方法があるんですよ。まだ法的にもだいじょぶです」って輩が登場する。
「法的にはだいじょぶでも、実際どうなの?身体に悪いんじゃない?」
悪い大人「えぇ。私はこわくていやですね」
こんな会話も世の中にはあるのかな?
自分の国が100兆儲かるならまわりの国がどうなってもいい。その金で住みやすくなれば、国民は喜ぶし、私の財布には100億はいるし。
「それは法で・・??」
「戦争をしない」ってことは国民が決めた法にもとづいて決まってる。
今の日本では。しかし 明日はわからん。
いずれにせよ。誰かが悲しむこと苦しむことがわかっている事で利益をあげて、、それで奪った側は幸せになるんだろうか?
それが本人の望む幸せならあまりにも悲しい。
最後に。
勘違いしちゃいけない。戦争は何十万人の人が死んで、そのまわりの人たちがつらく、悲しい思いをして、ほんの1部の人たちが儲かるように仕掛けられている。それは決して勝った国の話じゃない。
戦争を仕掛けた人たちが儲かる。
国益って何だ?国のためになる?
国民のためにならないのに国のためになる?
なんだそれ?