心の師匠のRさんがこの世からいなくなってしまった。
もう10年以上会ってないし、ネットでのやり取りなんてまったく無い人だったから、
特に生活の中で何かが変わったということはない。でも、いなくなってしまった。
R氏から教わったことはあまりに多くて書ききれないほどだ。
私が初めて社会人として働き始めた1年目から40代まで。
ずっとずっと師匠だった。
「仕事」と同時に「遊び」も教わった。
「遊び」の意味は広い。
「お酒の飲み方」とか
「お金の使い方」とか
「自分の感性を信じること」とか
「バカなことをやること」とか
いろんなことを教わった。
そういえば結婚の相談も離婚の相談もしたなぁ。
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私@23歳「いやぁ昨夜はまいりましたよ。○さんって、酔うとくどいっすね。そのうちだんだんエキサイトしてきて、なだめるのに大変でしたよ。」
こんな話をR氏にすると
R氏「おまえさ。ただただ話を聞いてちゃだめだよ?酒の席の話題は5分で替えなきゃダメなんだよ。」
私「え?5分?」
R氏「宗教でも政治の話でもエロ話でも別にいいんだよ。話題は何でも。ただ5分経ったらお前が『ところで・・とか、話変わりますけど・・とか』言って話題かえるんだよ。」なんてこと。
社会人1年目の私にとって(とっても小さいことも含めて?)ほんとに大きなことをたくさん教わったw
他にも「商談相手と飲むときは、飲んでる最中に商談の話は一切しないこと。
帰るときに「すみません、○○の件連絡しますのでお願いしますね。今日はありがとうございました」で終了。
条件とか、期限とか、一切話さない。それは昼間しらふで話せばいい。なんてことまで教えてもらったのもRさん。
初めて競馬場につれてってもらったのも。そこで。
「1万が5万になったとするじゃん。5万全部に次のレースにつぎ込むじゃん。
で、20万になったとるするじゃん。そしたら20万全部次のレースにつぎ込めるじゃん。
だから硬いレース3つで50万とか100万になるわけ。
で、どっかで取れなくても損は1万じゃん。」
なんて話もしたなぁ。
小心者の私は「でも5万になったら、次は4万だけ掛ければ取れなくても損しないじゃん。」とか反論したこともあったw
「最初から無くなってもイイと思って掛けるんだからそれはない」
なんて言われたのも懐かしい話。
まぁ。。そんなこんなで、自分はどれだけ助かったかわからない。どれだけ楽しさが増したかわからない。
そんな師匠だった。
昭和のよき時代に生きた人だった。
「Rさん。むこうでさっそくI君とあそんでる?」
多大なる感謝とともに心から冥福を祈る。
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昭和の時代の一番よかったところは「日本が右肩上がり」だったこと。
経営者も労働者も「今日より明日はよくなる」と信じて汗をかいていたこと。
「失敗してもだいじょうぶ」と信じて働いてたこと。
これは昭和の時代の終身雇用制度のもたらす最大の良い点だったと思う。
だから先輩は「がんばればちゃんと良いことが待ってる」と自信持って後輩に言ってたし。
上司は「仕事をしっかり覚えてくれたらまかせたい部署がある」なんてことも部下に話すことができた。出世、昇給、休日は少なかったけど、希望があった。
もちろん会社の業績が 年々右肩上がりなら、住宅ローンを組むのも安心だし、子育てだって夫婦そろってがんばれる。「明日は今日よりよくなる」と信じられるなら。
もちろん終身雇用制の悪い点も多々あったけれど、あの「誰でも希望を持てるところ」は、今の会社員や自営業者を含む労働者には無いに等しい。
無論、昭和の時代の右肩上がりの日本にだって倒産した会社はいくらでもあったし、夜逃げした経営者も少なくない。
だけど。だけどさ。
「稼ぎに追いつく貧乏なし」なんて言葉もあった。
真面目に仕事をしていればいつの日か貧乏から脱出できるという(根拠の無い?)前向きな言葉。
ただただ今は庶民(労働者たち)に希望が無い。
あるのは不安。妥協。手にとってやっと実感する現金。
大企業の管理職以上、公務員、追い風に乗った中小企業の経営陣くらいしか将来に大して希望が持てない時代。(1割いるのかな??)
結果として今の20代30代の人たちが、結婚、子育て、将来の生活プランの立てにくい時代になったと思う。
それでも今から20年経った時に
「やっぱり日本でがんばってきてよかった。次の世代のためにも、いい社会を作っていかないといけない」
なんて前向きな気持ちを抱く人たちがどれだけいるんだろう?
すくなくとも国の政策がうまく行ってない事態を「誰かのせい」にしちゃいけないと思う。